不登校新聞

518号 2019/11/15

あの凄惨な事件から40年、私にとっての戸塚ヨットスクール

2019年11月15日 12:20 by kito-shin
2019年11月15日 12:20 by kito-shin

 「戸塚ヨットスクール」前の海に花束を投げるひとり旅をした喜久井ヤシンさん。その思いを書いてもらった。

* * *

 私は先日、腕を振りかぶって海に花束を投げいれた。場所は愛知県美浜町、知多湾をのぞむ戸塚ヨットスクール前のことだ。

 私と戸塚ヨットに直接のかかわりはないが、個人的な追悼の念にかられて、東京から知多半島までのひとり旅をした。

 80年代にあった事件の報道と、メディアでの「教育か体罰か」論争を覚えている人も多いだろう。

 戸塚ヨットスクールは、79年から83年のあいだに、行方不明者を含めて4人の死者を出した団体だ。

 校長の戸塚宏氏は「体罰は善」だと主張し、訓練生に対する暴力的な言動が日常だった。

 とくに、今でいう「不登校」や「ひきこもり」の若者たちが寮にいれられ、過酷な「訓練」を強制されていた。

 事件を受けて、戸塚氏は懲役6年の刑に服したが、出所後もスクールの運営を続けている。私が行ったときにも、訓練生が使ったらしい数人分のスイムウェアが干してあった。

 戸塚氏のプロフィールは「600人以上の情緒障害児を更生させた」というもので、今でもテレビ出演や講演会などを行なっている。

 彼に支援をおしまない政治家もいれば、戸塚ヨットに感謝をしているという卒業生も少なくない。

 だが不登校だった私にとっては、「自分が暴行を受けていたかもしれない」という恐怖を抱かせる団体だ。

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