不登校新聞

532号 2020/6/15

『ツレがうつになりまして』の作者が苦しんだ自分への否定感

2020年06月17日 14:57 by kito-shin


細川貂々さんの著作。最新刊は『アタックPTA』(朝日新聞出版)

  『ツレがうつになりまして。』など、コミックエッセイの分野で活躍する漫画家の細川貂々(てんてん)さん。数々の著作には、「ネガティブ思考になってしまう自分に迷いながら生きてきた」ことが共通して描かれている。そんな細川さんは、最近、自分を認められるようになってきたという。生きづらさを抱えてきた半生や、どのようにして自分を認められるようになったのかなどについて、子ども若者編集部のメンバーがうかがった。

* * *

――細川さんの子ども時代のことから教えてください。

 学校がとにかくキライでした。「まわりの人と同じ」を強いられるのがつらかったんです。

 私は幼いころからなぜか「まわりの人と同じ」ことができなくて、よく怒られていました。

 たとえば小学校の「行進」。みんなと同じように手を振って歩くことができず、私だけいつもずれていました。

 ほかにも、勉強にはついていけないし、給食を食べるのも休み時間にかかるほど遅かったんです。

 自分ではがんばっているつもりなのに、「細川さん、ちゃんとやって」としょっちゅう先生に言われていました。

 そうやって怒られ続けていると、「まわりと同じ」じゃない自分が、どうしようもなく悪い存在だと思えてきます。

 人とちがうこと、人といっしょのことができないこと、そうした自分をとにかく責めてしまう、ネガティブ思考の人生がここから始まったように思います。

 学校には行きたくなかったけど、それが許される家庭ではありませんでした。親からは「行かないなんて選択肢はないから」と無言の圧をかけられていました。

 しかたがないので、ガマンして学校に通いました。義務教育が終わるのをひたすら待っていましたね。

 その後、高校にも行きたくなかったのですが、親が「高校へ行ったら漫画の投稿をしてもいいよ」と言ったんです。

 私はそのころから漫画家になりたいと思っていたので、親のエサにつられるかたちで高校に進学しました。

 そのころにはもう、まわりに合わせようとするのに疲れてしまっていました。だから学校にいるあいだは自分を押し殺して、ただ早く時間がすぎるようにと祈っていました。

 まわりの楽しそうな子たちを見ると「なんで私ばっかりうまくいかないの」とつらくなってしまうので、自分から口をきくこともありませんでした。

 そうして存在感を消したまま3年間をすごし、卒業しました。

親のふりかざす「世間」に苦しみ

――その後はどうすごされたんですか?

 進学も就職もせず、家でゴロゴロしていました。部屋にこもって大好きな漫画とテレビを思う存分、楽しんでいました。

 ところが親から、「お前は働きもせず、毎日家にいて何をやっているんだ」とプレッシャーをかけられるようになったんです。

 それまで何も言ってこなかったのに、急に口うるさくなったんですね。自分の部屋にいられれば、まだ気楽でいられたんですが、食事などで親と顔を合わせると空気が重かったです。

 せっかくキライな学校から解放されて自由になれたはずだったのに、家にいるのもだんだんつらくなってきました。

 私は親のふりかざす「世間」の圧に一番苦しみました。親は何かというと「あんたがそんなだと、世間に顔向けできない」と言いました。

 何度も言われ続けていると、私まで世間の目が怖くなってきてしまいました。外出したときなど、道行く人に「あの子はいったい何をしているの?」と目で言われているような気がしてしまうんです。

 とはいえ、じゃあ今日、自分は何をすればいいのか、それもわかりません。出口の見えないなかで「世間体」だけが重くのしかかってきました。

 しだいにストレスからイライラするようになってしまって、テレビに怒鳴り散らす、なんてこともありました。しかし、親は「世間の目があるんだから就職してくれ」の一点張りでした。  

 私も、「世間の目」から自分を守るために、深く考えず待遇面だけを見て、目についた企業に就職しました。   

 しかし、会社員生活もつらいことばかりでした。仕事は同僚と作業が合わせられなくて迷惑をかけてしまうし、会社の人間関係にもついていけませんでした。

 ここでも、「まわりとちがう自分」が私を苦しめました。「学校でも、社会人になっても、人としてあたりまえのことができない。本当に自分はダメなんだ」と、落ち込みました。

マイナス方向に考えるクセが

――細川さんはその後、絵の学校に通って漫画家となり、『ツレがうつになりまして。』(以下『ツレうつ』)のヒットとともに知名度も上がりました。いわゆる「社会的成功」を得たと思うのですが、それでもネガティブ思考は続いたんですか?

 そうなんです。『ツレうつ』の本が売れてテレビドラマ化や映画化がされても、人から「すごいね」と言われても、ネガティブな自分は出てきました。

 何かにつけて「やっぱり自分はダメなんだ」とふさぎこんでいました。マイナス思考になるクセがしみついてしまっていたんです。

 なんでだろう、とあらためて考えてみると、自分の物事の考え方が、自己否定の方にしか向いていなかったからじゃないかな、と思います。

 自己否定をすると、当然つらくなるし、いろんなことにイラ立ってしまいます。「私は何をやってもうまくいかないのに、恵まれてる人はいいよね!」と他人やほかの環境を恨めしく思うこともありました。

 でも、そんな自分がやっぱりイヤなんです。それでまた「なんで自分は他人を恨むことしかできないんだろう」と自己否定に陥り、イラ立っては落ち込む、をくり返すというループにはまっていました。

 泥沼ですね。だから、「もうこんなのはイヤだ! 苦しい、逃れたい」とばかり思っていました。

 なんとかして自分を変えたくて、「ポジティブになれる」とか「自分を改革する」などをテーマにした本をたくさん読みました。でも全然ダメでした。

 しかし、3年前、ある人と出会ったことが、自分が変わるきっかけになったんです。その人は、精神科医の水島広子先生という方でした。

 水島先生は私に「自分を否定しているかぎりは前に進めない。どんなにイヤな自分でもまるごと認めなさい」と言ったんです。私は衝撃を受けました。

 最初は「こんなひどすぎる自分を認めるなんて無理!」と思っていました。でも、それじゃ変われないっていうのだからしかたない。

 「大丈夫、なんとかなるか」と自分に言い聞かせるようにし、ネガティブな自分が出てきても「まあそれも自分だよね。そう思うのもしかたがないよね」と思うようにしました。

 そしたら本当に、少しずつ気持ちがラクになってきたんです。

 私は自分を「変えたい、変えたい」と思っていました。「変わる」とはネガティブな自分を切り捨て、生まれ変わって新しい自分になることだとイメージしていました。

 そのためにずっと自分の外に何かを期待していました。誰かが私にヒントをくれて、それにすがれば変われるんじゃないか、と。

 でもちがったんですね。ネガティブな部分を否定せず、自分で自分を認めること、どんな自分も大切にいたわること、これが大事だったんです。

親の自己否定、子にダメージも

――今はあまり「生きづらさ」を感じていないですか?

 はい。まだ発展途上ですが、多少イヤなことがあっても自分を責めずにすむようになってきました。

 考え方を変えてよかったことのひとつは、家族との関係が良好になったことです。以前の私は息子の前で「私ってほんとうにダメだ」と自己否定することもありました。

 でも、水島先生から「子どもの前で親が自己否定をくり返すのも、ひとつのDVなんだよ。子どもはそうされるとすごくつらいんだから」と言われ、「しまった!」と思いました。

 それからは「一番身近な存在の家族を大事にしなくちゃ」と気づいて、かかわり方を変えました。うれしいことに家族もそんな私に応えてくれ、支えてくれるようになりました。

 あらためてふり返ると、私の自己否定は「世間」と自分を比較するところから来ていたんだと思います。

 「まわりの人と同じ」ができなくて自分を責めてしまうのは、世間の目を恐れていたからこそだったんだと思います。

 でも最近、すごく大きな気づきがあったんです。それは息子の学校のPTA役員をしていたときに感じたことでした。

 PTAという狭い「世間」のなかで、すごく上手に立ちまわっているように見える人でも、人と人との関係が壊れることや、「世間」というワクから外れることに恐怖を感じている。

 つまり、私が恐れていた「世間」の人も、誰もがみな、同じように「世間」を恐れながら生きていたんです。

 結局、私もほかのたくさんの人と同じだったんでしょうね。「世間」を恐れ、「世間」にふりまわされて生きてきた。

 でも、そんなしょうもない自分を、やっぱり認めてあげるしかないと思うんです。「それでいい」って自分に言ってあげることから生きやすくなる道が開けていくかもしれません。

――ありがとうございました。(聞き手・本間友美)

【プロフィール】
(ほそかわ・てんてん)1969年生まれ。漫画家・イラストレーターとして活躍し、2006年にうつ病の夫との闘病生活を描いた『ツレがうつになりまして。』(幻冬舎)で注目を集める。近年は『それでいい』(水島広子氏と共著、創元社)、『生きづらいでしたか?』(平凡社)などを刊行し自分を受けいれることについて発信している。

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