以前、『Fonte』でも取り上げていたように、もうすぐ29歳になる息子もいじめの被害者です。「でした」とはいまだ書けません。傷が残っているからです。いじめの最大の問題点は「被害者を人間不信にすること」だと思います。人は人を信じることなしには、まず生きてはいけません。私たちは無意識に人を信じることで生きています。でなければ、道を歩くことも、電車に乗ることも、食べることもできないでしょう。そういう状態にまで人を追い込むのが「いじめ」です。「加害者もなんらかの被害者である」ことは私も知っています。しかし、だからと言って加害行為を許してはなりません。それは加害者自身のためにならないからです。私が98年にPCを買ってしたことは、ネットでいじめに苦しむ人たちの相談にのることでした。もう15年になります。その間、いじめのなにが変わったでしょう?
622号 2024/3/15
「中学校は私にとって戦場でした」と語るのは、作家・森絵都さん。10代に向けた小…
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