不登校新聞

391号 (2014.8.1)

最終回 フリースクール、30年間で変わったことは?

2014年07月30日 17:48 by kito-shin
2014年07月30日 17:48 by kito-shin

シンポジウムのようす。写真右から奥地圭子さん、亀貝一義さん、中村和子さん、江川和弥さん、中村尊さん

連載「フリースクールの30年史」

 「設立者がふり返るフリースクールの30年」は今回で最終回。各設立者が30年間をふり返った。

 
「東京シューレ」奥地圭子さん(司会)
 それでは最後の質問になりました。フリースクールが日本に誕生してから30年。みなさんはこの間、じかに子どもと接し、ともに場をつくって来られました。みなさんは、ふりかえって子どものニーズはどの点が変わり、どの点が変わらないと感じるのか。そして今何が必要だと感じられておられるでしょうか。
 
 
「For life」中林和子さん(兵庫)
 子どものニーズは親のニーズを色濃く反映していると感じています。そのなかで私がニーズとして大事にするべきは、子どもの生きる力、といえば平凡な言い方ですが、子ども自身がワクワクするような心、自分が思っていることを自分の言葉で話せる力だと思っています。そして、そういう心を育てていくためには、フリースクールのような全人教育、生きることすべてを学びにしたあり方ではないか、と。今子どもたちは貧困や家庭問題など非常に多くの課題を背負わされていますが、これからも、子どもの気持ちに寄り添いつつ、ともに生きていきたいと思います。
 
 
「札幌自由が丘学園」亀貝一義さん(北海道)
  フリースクールというと学校と異質な存在という印象があるかもしれませんが、フリースクールこそ本当の意味の人間教育を貫ける場だと私は思っています。だからこそ、通信制高校の提携も含めて、人間的な教育のあり方、学校とはちがったあり方を理論的にも実践的にも深めていくのが課題だと思います。
 
 
「寺子屋方丈舎」江川和弥さん(福島)
 最近、息子2人がめでたく不登校をしまして(笑)。学校に関わるようになってあらためて感じているのは「がんばりなさい」「ガマンしなさい」というメッセージです。これは最終的には個人を何かに当てはめていく教育です。残念ながら、「あきらめ」の気持ちを子どもが抱くような教育です。実際、若者を中心に社会全体をあきらめのムードが覆っているのは疑いようもない事実です。
 

訴える努力も

 
 われわれフリースクールの教育は、何かを注入し精神を修練させていくようなものではなく、場をともにするなかで、気づきを促し、学びと共感と可能性を広げていく実践教育です。これが今の公教育にできないのならば、その価値をきちんと市場のなかで訴えていくべきだ思っています。
 運営面はたしかに厳しい局面に直面していますが、ここを乗り切れば新たな展開があるんだろうと思っています。
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