直木賞作家・辻村深月さんの最新作『かがみの孤城』は、不登校の子どもが主人公のファンタジックミステリーだ。今回、不登校経験者が自身の経験も交えて、辻村さんにインタビューを行なった(『かがみの孤城』は2018年4月10日に本屋大賞を受賞)
――私は、高校3年生のときに友人関係でトラブルがあり不登校になりました。『かがみの孤城』には不登校の人が登場しますが、自分と重なりすぎて泣きそうになりながら読みました。辻村さんは、なぜ「不登校の痛み」を題材にしようと思ったのでしょうか?(20歳・女性)
デビュー当時から10代を主人公にしてきました。そうすると自然、舞台は学校が絡むのですが、私は学校に対していいイメージはあまりないです。むしろ圧倒的に悪い思い出のほうが多い。それなのに、しんどかったからこそ、今もあの時期、とくに中学生時代が濃密だったように感じられるんですよね。苦しかったことも感動も今とは比較にならないほど鮮烈でした。毎日のように本やアニメやゲームにハマり込みました。あれほどの冒険を本のなかではしたのに、本当は学校と家の往復だったなんて思えないぐらいに(笑)。
「読書が現実逃避になったんだね」と言われたこともありますが、そう言われると違和感があるんです。私にとって読書は現実逃避ではありません。人生の拠り所、もっとも大事な支柱でした。
私のように学校がつらくてなんとか通っていた人は多いんじゃないかと思うんです。人それぞれいろんな事情や背景があり、痛みも含めていろんなことを感じています。何の憂いも悩みもなく学校に行けている人のほうがじつは少数なんだ、という思いが強くあり、この感覚はきっとみんな覚えがあるはずだという確信から彼らを主人公にしました。そして学校に行く・行かないを問わず、学校と家以外の「その他のなにか」があること。私にとっての本がそうだったように「その他のなにか」が現実と結びつく大切なものだということを書きたかったんです。
本人の選択を待ってほしい
――『かがみの孤城』には主人公たちを支える大人も登場します。学校に行かない子に対する大人の役割はなんだと思いますか? (本紙編集長・石井志昂)
私が親になってからは、その返事が難しくなりました。ただ、本人の立場に立つと気持ちがわかることもあります。たとえば登場人物の一人は、親から「学校なんてくだらない、行かなくていい」「公立の教師なんかダメだ」と言われています。
そう言われると「学校に行きたいけど行けない」とは言えないですよ。頭ごなしに「行かなくていい」と言うのは、表面上だけは多様性を認めるふりをしていて、そのじつ、本人の複雑な心境を踏みにじってしまうことがあります。
じゃあ、どうすればいいのか。私も親なので教えてほしいぐらいなのですが、子どものときを思い出すと、信じて待ってほしかったなと。10代だったころは気持ちと行動がなかなか伴わないし、親としては子どもの今後を決めてあげないと責任を放棄している気にもなります。でも、親が「子どものために」と動きまわっているときは、「ああ、やっぱり信じてくれないんだな」と思っていたときもありました。
親の葛藤もわかるし、子どもだったときのことも思い出すので、なかなか「これ」と言えないのですが、私は「私の選択を信じて待ってほしかった」と今は思います。
――『かがみの孤城』を読んで、学校に行ってない人の心境や支援教室のようすがとてもリアルで驚きました。小説を書くためにどんな取材をされたんでしょうか?(14歳・男性)
まずは、今日会いにきてくださって、本当にありがとうございます。当事者の方があの話を読んで来てくださると聞いて、じつはこれまで受けたどのインタビューより緊張しています。だから、そんなふうに言っていただけるととてもうれしく、ほっとしました。
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