不登校新聞

461号 2017/7/1

学校へ行かなくていいと知って、目の前に色がついてきた【不登校50年/公開】

2017年09月16日 10:44 by shiko

連載「不登校50年証言プロジェクト」

 

 うめざわしのぶさんは、1984年に小学校入学、小学6年生から登校拒否し、中学もまったく通っていません。
 
 90年代のはじめ、山口県の精神保健福祉センター内の学校外の居場所「星のうさぎ」というところで私は彼女と出会いました。山口県の精神保健福祉センターは、学校信仰社会まっただなかの日本、つまり首に縄をつけてでも登校させないと社会に出られないと信じられていたなか、学校を休むことを受けとめる考え方や対応で、子どもや親からとても信頼を寄せられていたセンターでした。
 
 私は、1984年に「登校拒否を考える会」、1985年に「東京シューレ」をスタートさせていた関係から、精神保健福祉センター主催の講演会に呼ばれ、行ってみて驚いたものです。というのも、行政機関でありながら、登校拒否に肯定的で、学校復帰を目的としていない居場所があるなんて考えられなかったからです。
 
 しのぶさんとは、そこで出会ったのですが、眼のくりくりした、かわいい少女で、とてもイキイキと話をする子でした。多くの不登校の子どもがそうですが、しのぶさんもまた自分の言葉で話しており、その考え方の一つひとつが私はおもしろいなあ、と印象に残りました。
 
 その後、「東京シューレ」の子どもたちは「貧乏旅行」と称して、山陽と山陰をひとまわりする旅へ出かけ、「星のうさぎ」と交流をしたり、五右衛門風呂がある山奥の家々に泊めていただいたり、いっしょにシンポジウムをやったり、秋吉台や菊ヶ浜に行ったりもしました。しのぶさんも東京に来るなど、時折の成長した姿に触れて、私もまた学ぶことが多かった人です。
 
 しのぶさんは、小6のころからの登校拒否で、学校では「先生の考え方を押しつけられている」という窮屈感がずっとあったそうです。勉強するために学校へ行くんだったら「私には必要ないな」とも思ったそうです。思春期やせ症(摂食障害)も重なり、最初に行った精神科医は「1分でいいから毎日学校へ通いなさい」と言われたそうです。親も先生もはじめは行かせようとするし、「学校に行きたくないと思っている私はまちがっている存在だ、みんなを困らせている、いてはいけない存在だ」と感じ、「死にたいという思いを抱えながら生きていた」と言います。それが県の精神保健センターで「そんなにいやなら行かなくてもいいんじゃない」と言われ、「え、行かなくてもいいという選択肢があるんだ」と思ったそうです。そのときのことを、白黒テレビがいきなりカラーになった感じで「急に目の前に色がついてきたんです」と語っていました。
 
 その後、18歳で調理士専門学校、19歳でレストランへ就職、20歳で結婚。子どもにも恵まれ、27歳で夫と自分の店である飲食店開業。現在、息子さんは、高校卒業、大学進学準備中です。
 
 このインタビューの日、福岡の待ち合わせ場所に表われたのは、素敵な和服姿の38歳のしのぶさんで、イキな博多女性という感じでした。今は山口県でパン屋を開業する準備をされているそうです。当事者の生きてきた道とその哲学に励まされます。(奥地圭子)

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