連載「不登校50年証言プロジェクト」
中澤淳さんは現在44歳。二児の父親である。彼と連絡を一度でとるのは難しい。「今、カタール」「今はリビア」という調子で、始終、海外出張があるからだ。彼が「少年」と呼ばれていた若いころとまったくいっしょである。彼は、小学4年のころに学校へ行かなくなり、6年生から東京シューレに入会。いわば「フリースクール育ち」で成人した人だ。
不登校を考えるとき、学校外の居場所・フリースクールの存在は外せないことのひとつだと思われるが、日本のフリースクールのごく初期に育ったひとりとして、じつは本紙先々号の本欄に登場した倉地透さんとともに登場いただこうと考えていた。この「不登校50年証言プロジェクト」の欄もかぎりがあり、1度に2人、登場してもらい、語っていただこうと思っていた。
というのも、東京シューレが誕生した85年ごろは今とは比較にならないほど不登校への偏見・誤解が強く、首に縄をつけてでも再登校させようとした時代である。こうした時代のなかで倉地さんは登校拒否を直すために、だまされて北海道の牧場に置き去りにされ、中澤さんは当時の家庭にはめずらしく、学校へムリに行かそうとさせられなかった理解のある環境で育った。
どちらもインタビューを気持ちよく引き受けてくださったが、こちらも含め、三者の日程調整がなかなかつかず、では一人ひとりお願いしようとなったものであるが、同時代、同じ居場所で育ったことを踏まえて読んでいただきたい。
さて、中澤さんが海外出張が多いのは、現在、大手旅行会社(HIS)の「海外事業戦略本部」の仕事をしているからだ。小中高とも学校に縁がない彼が、なぜ、高学歴が入社条件のHISに採用されたのか、がおもしろい。中澤さんはフリースクール時代、旅行や交通に興味があり、厚い時刻表を読み解くのはお手のもの、合宿の企画をしたり、ひとりでもあちこちへ出かけたりしていた。
中学校を卒業後は鉄道関係のアルバイトで小銭を貯め、友人と海外旅行へ。18歳でフリースクールを退会後はフランス語を習いつつ、サハラ砂漠だ、マダガスカルだと、世界各地へ行っていた。さらに本格的に語学を学ぶためフランスの大学付属の語学学校に留学。帰国後、HISの募集を見て、学歴は条件外であったが履歴書に旅行歴をたくさん書いて出したそうだ。すると面接へ来るようにとの連絡があり、採用となった。その後、大卒者と肩を並べ仕事を始める。初めは失敗もたくさんあったようだが、リピーターがたくさんつき、成績はいつもトップ、支店長代理、支店長、本部へと歩んできた。
好きなことを思いっきりやっていく環境で育った彼の個性が今、社会で活かせている。発想がユニークで、また、ありのままの自分で生きていて、おしゃべりが楽しい人である。
自分が不登校をした小学校に2人の子どもが入学。父親として学校へ出入りしつつ、何を感じたかの話もおもしろい。一世代すぎたことをつくづく感じたインタビューであった。(本プロジェクト関東チーム委員・奥地圭子)
「不登校50年」#40 中澤淳さん
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