学校外の学び・育ちの場で育ったメンバーやその親が開く「ふとうこうカフェ」(https://ameblo.jp/futokocafe/)。「居場所はいろいろあるよ」などのメッセージを通じ、不登校でつらい思いを抱えている人が少しでも安心できるように、と活動を続けている。今回は3月11日に開かれた「ふとうこうカフェのおはなし会in石神井台児童館vol4」のシンポジウム抄録を掲載する。
――不登校になるまでの経緯をお願いします。
小幡徹さん(以下・小幡)
小1のときからいじめにあい、完全に学校へ行けなくなったのは小3になってすぐのころでした。ようすがおかしいというのは親も薄々は気がついていたと思います。ふとした拍子に学校であったことを一気に話したら、母親が「じゃあもう行かなくていいんじゃない」と言ってくれました。父親も「行かないなら行かないでいい」という感じではありましたね。
とはいえ、「家にいてもいいから勉強だけはしておきなさい」というのが親の本心だったので、勉強するようすがないというのは両親の癇にさわったようです。毎日24時間、親といっしょにいることで関係が悪くなり、家のなかが殺伐としていた時期もあります。
中村由紀さん(仮名/以下・中村)
私が学校に行かなくなったのは小6の2学期で、きっかけは中学受験です。6年生の夏休みは毎日塾ですごしていたのですが、ある日、塾で具合が悪くなりました。それからというもの、塾に行こうとすると体調を崩すようになって。
2学期が始まると、今度は学校でも同じような状態になりました。学校へ行こうと思っても、体が動かない。最初はなんとかして学校に行かせようとした親も、そんな私を見て、「無理に学校に行かなくてもいい」と言ってくれるようになりました。
――親としては子どもが学校へ行かないことを受けいれるまでに時間がかかるものかもしれません。山本さんはお子さんの不登校をどう見られていましたか?
山本郁子さん(以下・山本)
子どもが学校へ行かないということを認めるのは、親としてなかなか難しいことでした。長男が不登校になったのは小2の3学期のことです。カゼをひいて欠席したのをきっかけに、その後も「おなかが痛い」などと言って、学校へ行けなくなりました。病院の先生に「熱もないので登校拒否かもしれないね」と指摘されたときにそれはもうビックリして。
あとになって意味のないことだと知りましたが、まず最初にしたのが原因探しです。息子はやんちゃなタイプではなかったこともあり、男の子社会のなかで生きていくのが苦手だったようです。
そんな息子を心配するあまり、親の私は幼稚園のころから複数の習い事をさせていました。親が先まわりして子どもの生活を組み立てていたことで、息子を疲れさせた面もあるように思います。それでまずは習い事をやめさせましたが、息子は学校へ行けるようにはなりませんでした。
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