不登校新聞

491号 2018/10/1

「対話の契機に」山田潤さんに聞く【不登校50年/公開】

2018年09月28日 10:29 by kito-shin



連載「不登校50年証言プロジェクト」

 山田潤さんは、元定時制高校の教員で、学校に行かない子と親の会(大阪)の世話人代表でもあり、本紙創刊時の理事のひとりでもあった。

 山田さんが不登校に関心を持つきっかけは、定時制高校に来る生徒たちの変化だった。ヤンチャな子どもたちが持っていた自律的なエネルギーがどんどんなくなっていき、「なんで義務教育の9年間もかけて、この子らをこんなにも痛めつけるのか」と感じることが増えた。一方で、中卒で働くことは親も教師も認めず、「せめて高校は」という意識が強く、子どもを半人前扱いしている。それはおかしいと問題意識を持っていたところ、京都の「学校に行かない子と親の会」を知り、91年には大阪でも会を立ち上げた。

 山田さんは、ずっと、不登校と労働問題をつなげて考えてこられた。山田さん自身、大学を卒業後、職業訓練校を経て板金工となった経験を持つ。しかし、ものづくりの現場は、数値制御が入るなど急速に変化し、手仕事はどんどん軽んじられるようになった。中卒や高卒の求人も激減し、多くの子どもたちは、学校に行く意味もわからないまま、学校へと駆り立てられている。そうしたなかで、学校に行かない子どもたちも出てきた。いわば、働くことの空洞化と、学ぶことの空洞化はつながっている。

 しかし、そうした状況を嘆いて「昔はよかった」と言うのでは、いまの状況を生きる子どもや親と対話することはできない。具体的に、どういう場で、どういう仕事ができ、そこにつながる学びがあり得るのか。山田さんはメンテナンス(修復・保全)に可能性をみている、という。高度経済成長期にできた、さまざまなインフラが耐用年数を超えてきているなか、そのメンテナンスは住民が協働でやっていく必要が生じてきている、と。

 この間の災害状況などをみても、私たちの生活が、いかにシステムに依存し、何かあったときに、なんともろいものか、思い知らされたように思う。物流にしても、情報にしても、それはインフラがあり、そこで日々働く人たちに支えられて成り立っているものだ。情報化社会などと言うけれども、それは、何層にもある現実の、ほんとうに上っ面にすぎない。私たちは、自分たちの生活の足場から自分たちの手に仕事を取り戻していく必要があるのだろう。

対話の契機に

 このインタビューでは、教育への権利について、学籍のあり方についてなども、さまざまに話し合っている。それは、教育機会確保法をめぐって対立的になった議論を、もう一度、開かれた対話につなげていく契機にもなりうると、私は思っている。教育機会確保法についてだけではない。不登校をめぐって、すれちがってきたさまざまな問題について、あらためて考え直し、対話していくことのできる回路が必要だ。このインタビューでも、いくつか、踏み込んだ話をしている。
 
 また、このインタビューは、本プロジェクト関西チームのしめくくりでもあった。関西チームでは、さまざまな論点にタブー視せず斬り込むことで、対話の契機を生み出したいと思い、取り組んできた。かぎられた時間と労力と資金のなか、まだまだ、積み残していることもあるが、できうるかぎりのことは尽くしたつもりだ。プロジェクトにご支援いただいた方、記事を読んでくださった方には、あらためて感謝申し上げたい。このプロジェクトが、過去に積み残してきた問題を真摯に問い直し、未来へとつながっていく契機になればと願っている。(本プロジェクト統括・山下耕平)

不登校50年証言プロジェクト #46 山田潤さん
http://futoko50.sblo.jp/article/184340527.html

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