不登校新聞

491号 2018/10/1

不登校の親3人が語る わが子の不登校どう向き合ったか

2018年09月28日 14:47 by kito-shin
2018年09月28日 14:47 by kito-shin



 2018年8月5日の「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」で行なわれたシンポジウム「揺れて、迷って、今がある」(聞き手は本紙理事・奥地圭子)。シンポジウムで話された3名の経験談を掲載する。(以下、敬称略)

* * *

奥地圭子(以下・奥地) 
 本日、お話いただくみなさんは私を含め、全員が不登校の親であるというシンポジウムです。まずは、お子さんの不登校の始まりから今までの歩みをお話ください。

平山努(以下・平山) 
 息子は現在、通信制高校に所属する高校3年生です。小学校3年生から行きしぶりがあり、6年生のときには学校へ行ったり行かなかったりしました。中学校に入ってからは部活動の先生や友人関係に悩み、本格的な不登校になったのは中1の夏休み前からです。その年の秋ごろからは学校ではなく、地元の適応指導教室に通い、中2のあいだはほぼ毎日、適応指導教室に通っていました。

奥地 それはお子さんの意志でしたか?

平山 そうです。「とりあえず行ってみる」、そう言っていました。ところが、中2の終わりの春休みにパソコンを買い与えたところ、ネットやゲームをやるようになり、みごとに昼夜逆転しました。中3になってからは、適応指導教室にも行かなくなり、ほとんど家にいるようになったわけです。

●小1から不登校、現在は大学院生

小野坂栄治(以下・小野坂)

 うちの息子は小学校1年生になって半年も経たないうちに不登校になりました。「おなかが痛い」「頭が痛い」など体調不良になったのが始まりです。男親とはいい加減なものだからか、私は「行きたくないなら、行かなくてもいいんじゃないの?」と息子に言いました。すると翌日からパタッっと行かなくなりました。

 それからは家ですごすことが多く、小3のときに東京シューレを見学。通い始めたのは子ども自身が「行ってみようかな」と言い出した小4からです。その後はほぼ毎日、シューレへ通っていたと記憶しています。

 中学は東京シューレ葛飾中学校が設立されたので、そちらへ進学。中2のころだったか、急に勉強を始め、高校は都立校へ行きました。その後、京都大学の理学部で物理を学び、今は大学院に在籍中で、来春からはメーカーの研究職に就くと聞いています。

●3人の息子 不登校は2人

草深幸子(以下・草深)

 不登校を経験したのは長男と、7歳ちがいの三男です。2人とも小学校3年生くらいから学校に行きにくくなり、それからはずっと家ですごしていました。

 長男は13歳のとき、メキシコの友人のところへ遊びに行き、半年ほど滞在しました。これを機会に3年半ほどメキシコで暮らし、そのあいだは、メキシコの中学校に1年ほど通っていました。
 
 スペイン語ができるようになって帰国したからか、今度は、ピースボートという世界一周の旅をしている船に乗り、それからはずっとその船旅のスタッフとして働いています。三男は中学まではフリースクールや校外の適応指導教室のような場に通い、本人の意志で高校、大学へ進学しました。現在は長野にフリースペースを立ち上げようと奔走しています。

●わが子の不登校 どう向き合ったか

奥地 次は、親としてわが子の不登校をどう考えたのか、うかがいたいと思います。親の会などでは父親が不登校を理解してくれないという声が聞かれることもありますが、お父さん方はいかがでしょう。

平山 最初はやはり息子の不登校を受けいれることはできませんでした。息子が「学校に自分の居場所がない」と言っても、学校へ行けと叱り、息子をムリに車に押し込んで、学校まで連れて行ったこともありました。

奥地 ご自身の考えが変わったきっかけは?

平山 不登校の親の会と出会い、そこで「親が腹をくくりなさい」と言われたことがきっかけでした。それからは息子の生活が昼夜逆転することがあっても動じることはありませんでした。ほとんど何も言わず、息子の好きなようにさせましたから。

奥地 親の会に出会い、学校だけが子どもの選択肢ではないと思われたということですね。

平山 そうです。“学校へ行かなくてもなんとかなる”という思いが確信に変わったのは、息子が中3の6月ごろ、親の会に参加して数カ月後だったと思います。

奥地 小野坂さんはいかがでしたか。

小野坂 子どもが四六時中、家にいると、家庭内がざわつきます。ただ、僕はけっこう適当なので、男親がピシっと言えば何とかなるだろうと思ったんですね。

 それで息子と対峙して、私から「おまえ、学校へ行けよ」と。そう言うと息子は間髪入れずに「行かない」と答えました。その言葉から強い意志を感じ、それからは学校へ行かせることをあきらめました。

奥地 お父さんによっては叱り飛ばしてまで学校へ行かせようとすることもありますが、そこまでしなかったのは、子どもの気持ちをわかってやらなければと思ったからでしょうか?

小野坂 そこまで子どものことをわかっていたわけではないと思います(笑)。

 ただ、そもそも僕自身が小・中学生のころから学校の教員というものをあまり信用していませんでした。学校にそれほどいいイメージがなかったので、息子の気持ちに共感したのかもしれません。一方で子どもの不登校で一番悩んだのは「ゲーム」でした。僕はゲームが大嫌いで、自分の息子がゲームをしている姿を見るのが嫌だったんです。

 周囲からは「ゲームぐらいしか気晴らしがないんだから」と言われ、しぶしぶ息子が求めるゲームを買い与えましたが、それこそ1日15時間くらいゲームをしているわけです。これはもう耐えられないので、父親として唯一できるのは「息子がゲームをする姿を見ない」ということでした。

 もちろん不安もありましたが、ある日を境にぱたりとゲームをしなくなったので、飽きたのでしょう。それと同時に、本人のなかで目標のようなものができたようで、猛勉強を始めました。

奥地 好きなことが思いきりできたのがよかったのでしょうね。草深さんはどうでしょう。

草深 長男が不登校になったときは私自身も葛藤し、苦しい日々をすごしました。私のなかには「長男なのだからなんとかして育てなければ」という思いが強くありました。当時は主人の母と同居を始めたばかりだったので、いい嫁にならなければとか、世間体のことも気にしていたように思います。

●裸足で逃げた

 ある朝、いつものように長男を車に乗せ、学校まで送ろうとしたのですが、長男は助手席のドアを開けると、裸足のまま外に出て、車の通れない道を歩いてどこかへ行ってしまいました。

奥地 車から逃げ出したということですね。

草深 そうです。結果的には何事もなく長男は家に帰ってきましたが「この子はそこまでして行きたくないんだ」と思ったきっかけになったように思います。

奥地 三男の不登校のときは?

草深 三男は家で学んでいこうと決めていました。お城見学や自然観察会などをして楽しく生活していましたが、不登校当初は、やっぱり苦しんでいました。

 ある朝、三男は学校でとても悲しい思いをして、家に帰ってきてしまいました。そしてランドセルを背負ったまま、わあっと泣き始めたんです。それなのに私はバカな親でした。「でも、学校には行かなきゃね」と息子を励まし、彼が背負っていたランドセルを降ろしてやれなかったんです。そのことは今でも後悔しています。

奥地 後悔はお子さんに伝わっているだろうと思います。鬼のようになるときもあるのですが、そこに気づくことが大事ですよね。

平山 息子の不登校を機に、私自身も人生観が変わりました。私も50年以上、生きてきましたが、まだまだ知らないことがたくさんありました。人生は予定通りにいかないですし、まさかの連続でもあります。

 あらためて思うのは、子どもには子どもの人生があり、親はそのサポーターでしかないということです。子どもに頼まれたときはできるだけのことをしますが、よけいなこと、頼まれないことはしない。父親として息子の将来は子ども自身にまかせよう。今はそんな思いで見守っています。

奥地 悩み、揺れながら、大事なのは何かを見つけていくのは親も子もいっしょだと思います。学校へ行かなくていいのだろうかと焦りや不安もあると思いますが、子どもを受けとめ、子どもといっしょに歩いていく、それが大事なのかもしれません。みなさん、本日は貴重なお話をありがとうございました。(抄録)

■シンポジスト略歴

平山努さん…栃木県在住。高3の息子が中1の夏休み前から不登校。

小野坂栄治さん…東京都在住。長男が小1から不登校。

草深幸子さん…長野県在住。長男と三男が不登校。

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