不登校新聞

491号 2018/10/1

「百手先よりも今の局面」羽生棋士が実践している考え方

2018年10月15日 10:27 by kito-shin

 みなさま、こんにちは。将棋の棋士をしている羽生善治と申します。今日は私がふだん考えていることをテーマごとに話させてもらえればと思います。

 最初にまず「好きなことに取り組むこととは」というテーマでお話をしたいと思います。

 好きなことに取り組むというのは誰しも楽しいことだと思いますが、アスリートの人たちからもよく聞かれるのが「楽しんで競技に打ち込みたい」という主旨の発言です。

 その人が持っている才能や能力がどういうときに一番発揮されるかと言われたら、それはまちがいなくリラックスして楽しんでいるときだと私も思っています。ただ、いつ、いかなる状況においてもリラックスして楽しんでいられるかと言われたら、現実的には難しいときもあるでしょう。

 私も棋士になってから30年以上の月日が経っていますが、プレッシャーや緊張感を感じることは今でも日常茶飯事です。

 そういうときは「けっして最悪の状況ではない」と考えます。物事に打ち込む状況として一番適さないのが、やる気がないときです。やる気がなければ、才能や技を持っていても宝の持ち腐れになってしまいます。

 しかし、プレッシャーや緊張感を感じているときには、少なくともやる気があります。

 さらに視点を変えて考えると、プレッシャーなどを感じているときは、そこそこよいところまで来ているケースが多いと思っています。たとえば150㎝のバーを跳べる高跳びの選手がいるとします。

 100㎝のバーを目の前にしてもその選手にプレッシャーはかかりません。楽勝で跳べるからです。200㎝のバーでもプレッシャーはかかりません。跳ぶのは無理なのでプレッシャーもかからないのです。

 ところが、155㎝や160㎝になってくるとちがってきます。「もしかしたら跳べるかもしれない」「いや、跳べないかも」と迷います。プレッシャーというのは、そういう状況のときにかかりやすいのです。

 プレッシャーがかかるのは、ある程度の手応えを感じているからこそで、あともう少しでブレイクスルーできる、目標に達成することができる、次の段階に進むことができる、そんなときが多いように思います。

 もうひとつ言えるのは、その人が持っている能力や才能は、緊張感や緊迫感によって開花するケースがあるのでないかということです。

 私自身も棋士として、いつが一番深く考えているかというと、それはまちがいなく公式戦です。しかも「待った」ができない状況で、時間に追われているときです。一番たくさんのことを考えられるのは、まさにこういうときなのです。

 ひとくくりに緊張感と言いましたが、緊張感には悪い緊張とよい緊張があります。悪い緊張は身体がこわばり、ガチガチになってしまい、身動きがとれない状況です。

 一方、よい緊張は身が引き締まる、そういう状況です。身が引き締まるというのは、ある程度の力が入っている。それが適切でちょうどいい力加減です。「楽しんで競技に打ち込みたい」と話すアスリートの人たちも、自分が持っているものを力いっぱいに発揮するために、いい案配で身が引き締まる状況をつくっているのではないか。そんなふうに思うわけです。

多様なものさしが大事

 次に「好きなことや物事への努力はどうしたら続けていけるか」ということについてお話します。私自身は“ものさし”が非常に大事になると思っています。人は誰しも生まれたときから大きくなるまでにさまざまな経験をし、大小さまざまなものさしをつくっています。

 たとえば、1週間の練習をして、竹馬に乗れるようになったとします。すると「1週間で竹馬に乗れる」という短いものさしがひとつできあがります。

 次に一輪車に挑戦することになったとします。一輪車は竹馬よりも難しいので、乗れるようになるまでに「2週間はかかるかな」と考えます。このように、自分自身が過去にやってきたこと、あるいはできなかったことのものさしと照らし合わせ、どうなるかを考えるわけです。

 長いものさしでは、例として語学があります。語学を習得するために勉強を5年間して、その言語を話せるようになったとします。すると、5年間という長いものさしができます。このものさしができると、次に別の語学を学ぼうと思ったとき、少なくとも3年や5年はかかるだろうなと考える。

 それはどんな物事にも言えることです。誰しも一生懸命にやっているあいだは、不安や不満を感じることが出てくるものです。けれども、長いものさしや短いものさしをたくさん経験したり、発見していれば、自分のなかにある不安や心配を軽減させてくれることが多々あります。さらに、たくさんのものさしを持っていることは、前に進むときの大きな判断基準になるのではないか。私はそう考えています。

不調のときは小さな変化を

 勝負の世界に生きていると、やはり運やツキというものはあるのではないかと感じます。しかし、よいツキがずっと続くこともなければ、悪いツキが続くこともありません。ツキは天気のように変わります。

 私自身はツキにこだわると最善を尽くすことがおろそかになる可能性があると考えているので、縁起をかつぐことはしていません。

 一方、対局で負けが続くと、最初に不調なのか実力なのかを見極める作業をします。将棋の世界には『不調も3年続けば実力』という言葉があります。いまの状況が実力ならば、自分自身の努力不足ですから、その現実を真摯に受けとめ、また一生懸命にがんばって、次のチャンスをうかがうということをします。

 不調の場合ならば、やっていることはまちがってはいないので、私はやっていることを変えません。今日、始めたことの結果が次の日や1週間後に出るということはほとんどありません。ある程度の月日を経て初めて花を咲かせ、実を結びます。なので不調のときは気分を変えるようにしています。

 こういうときは誰しも気持ちが落ち込みやすいので、たとえば髪型を変える、部屋の模様替えをする、趣味を始める、あるいはやめる、起きる時間を変えてみる。このように私自身は日常の生活のなかで小さな変化やアクセントをつけることによって、不調の期間を乗り越えていくようにしています。

選択と結果の不一致に物事の機微が潜む

 私は1年間で50~60試合の対局をしていますが、今日はノーミスで100点満点だと思えるのは年に1回、ないしは2年に1回くらいのものです。もちろん、ミスがないに越したことはないのですが、大事なのはミスをしたあとにミスを重ねないこと、だと思っています。

 ところが、ミスをしたあとにミスを重ねてしまうことは非常に多いことです。なぜか。ミスをすると慌ててしまうなど、心理的な不安がひとつ目の理由です。さらには、ミスをした局面よりも前の局面が非常に混沌としていて、ミスが起こりやすい場面に出会っている可能性が高いのではないかと考えています。

 では、ミスにミスを重ねないためにはどうするか。ひと呼吸おくというのは非常に大事です。1分や2分でもいいので、お茶を飲む、外の景色を眺めるというミニブレイクによって、冷静さや客観性を取り戻すことができる、そういうふうに思っています。

 もうひとつ言えることがあります。いい手を指したけれど負けることもあれば、自分のミスをきっかけに逆転することもあります。自分の選択や行動と、実際に起こることが一致するわけではないのです。じつは物事の機微というのはそのあたりに潜んでいるのではないか。私にはそんな気がしてなりません。

大事なのは3手先、相手の反応

 最後になりましたが、私が尊敬する棋士・原田泰夫さんが大事にされていた「3手先の読み」というお話をして終わりたいと思います。3手というのは、1手目が自分、2手目が相手、3手目は、ふたたび自分です。そこで一番大事なのは2手目、相手の反応です。

 棋士ならば頭のなかで駒を動かして100手以上も先のことをシュミレーションすることができます。しかし実際に起きる10手先程度の未来を正確に予測することは難しいことなのです。

 というのも、相手の反応を考えるとき「相手の立場に立って自分の価値観で考えてしまう」からです。これは私もよく陥ります。そうすると何百手先のことを考えても2手目から的外れにります。

 もちろん完璧な予測は難しいですが、少なくとも相手の価値観に近づいて考えていかないといけない、そういう教えが「三手先の読み」です。

 棋士も基本的に五里霧中のなかで手を選んでいます。五里霧中のなかでの選択するとき、私が心がけているのは向かうべき方向性だけは見失わないこと、先のことは考えすぎずに「今の局面」をきちんと考えていくこと、そんなことを考えながら指しています。
 私の話は以上です。ご清聴、ありがとうございました。

※2018年8月4日~5日にかけ、金沢市で開催された「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」(主催/登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク)。基調講演に登壇した棋士・羽生善治さんの講演抄録。

■羽生善治さんプロフィール

(はぶ・よしはる)1970年生まれ。埼玉県出身。中学生でプロ棋士となり、1996年には、将棋界で初の全タイトルの独占を達成。2017年に竜王位を獲得。初の永世七冠を達成。2018年には将棋界初の国民栄誉賞を受賞した。

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