不登校新聞

525号 2020/3/1

受験生の息子が突然の不登校、今だからわかる親の寄り添い方

2020年03月03日 12:20 by koguma


山崎節子さん

 今号では、2月9日、千葉県習志野市で開かれた講演会・シンポジウム「不登校・ひきこもり~生きづらさに寄り添うには」の講演抄録を掲載する。主催はNPO法人「ネモ ちば不登校・ひきこもりネットワーク」。登壇者のなかから、保護者の山崎節子さんの講演抄録を掲載する。(編集・小熊広宣)

* * *

 息子が不登校になったのは、中学3年生の秋でした。

 あるとき「洗濯するからワイシャツを出して」と言っても無反応だったので息子の部屋に行ってみると、ワイシャツはきれいな状態のまま。

 「今日は学校へ行っていない」ということを息子の代わりに教えてくれました。

 私は焦る気持ちを抑えきれず、「どうして休んだの? 明日は行きなさいよ」と、思ったことをそのまま息子にぶつけました。

 何を聞いても答えない息子に対し「思春期だからしかたない」というぐらいに考えていたんですが、思い出してみると、私が声を荒げてしまうこともありました。

 息子にしてみれば、言いたいことはあったのかもしれません。でも、私の対応で、本心を言いづらい状況をつくってしまったんだろうと思います。

不登校の原因は学校でのいじめ

 学校へ行かなくなった原因はいじめでした。息子の了解を得て携帯電話を見せてもらうと、友だちどうしのやりとりのなかに息子に対する心ないメールがありました。

 私はこれが不登校の原因だと確信し、学校に相談しました。すぐに対応してくれ、先方の保護者からも謝罪を受けました。

 でも、いじめはこれだけじゃなかったんです。クラス内や部活内で、いじめがいくつもあったことがあとからわかりました。

 部活で副主将を務めていた息子は「友だちから頼られないし、僕なんていなくていい」と言い、ふさぎ込んでしまうことが増えました。

 息子は当時、他人の視線を気にして、外出する際はマスクを欠かしませんでした。お風呂に入れば長風呂で何時間も出てきません。

 朝、学校へ行ったふりをして公園のベンチに座っていたところを先生に見つかり、学校へ連れて行かれたこともあります。このとき、息子の心は、ズタズタになっていたんだと思います。

 でも、私はそのことに気づいてやれず、高校受験を控えた大事な時期だからと、息子を励まし、学校へ行くように言い続けてしまったんです。

 「とにかく高校受験を乗り切らないと」という一心で、中学校には保健室登校をお願いし、私立高校の単願受験をして、卒業まで何とかして学校へ行かせ続けました。
 
 それまでの日々は息子にとって、本当につらい時間だったと思います。不登校になった時点で、息子はガマンにガマンを重ねた結果、心も身体も限界だったはずです。

 親として、息子の話を聞いてあげる余裕を持ち、「学校は休んでもいいよ」と言ってあげることがなぜできなかったのか、今でも心から後悔しています。

 親として息子を理解できていない時間があまりに長すぎたなって。

 息子は高校に進学したものの、なかなか学校になじめず、夏休み明けから完全に行けなくなりました。

 出席日数が留年ギリギリとなった段階で、私の判断で通信制高校へ転校させることにしました。通信制高校なら、行きたいときに行って、課題さえ出せばどうにかなると思ったからです。

 私がここまで高校にこだわったのは、「息子の居場所をなくしてはいけない」と思ったからです。

 当時は焦るばかりでまったく気づいていなかったんですが、中学卒業まで学校へ通わせたのも、なんとか高校を卒業させようとしたのも、すべて息子のためによかれと思ってやっているつもりでした。

 でも、ちがうんです。結局のところ、親の私が安心したかっただけなんです。

 事実、息子が中学を卒業し、高校に進学したことで安心したのは親だけ。親として、息子の気持ちにまったく寄り添えていなかったんです。

 息子はその間、ずっと苦しい思いを抱え、自己肯定感はどんどん低くなっていきました。

親子の会話、筆談だけで

 高校3年生の初めぐらいになると、息子は私たち両親を避けるようになりました。

 私が用意した食事には一切手をつけませんし、息子と外出しようと休暇を取ると、家出までされてしまいました。

 息子は「自分の味方は誰もいない」と思っていたようで、親と会話をすることができなくなりました。筆談だけで数カ月すごしたこともあります。

 なぜ、ここまで息子を追いつめてしまったのか。なぜ、息子の気持ちに共感できなかったのか。後悔の気持ちは今も消えていません。

 息子はその後、本人の希望でカウンセリングと心療内科の先生にお世話になりました。

 先生方が他愛のない会話をしてくれたことがうれしかったのか、息子の心も徐々に落ち着き、安定していきました。


「フリースクールネモ」の日常のようす

 ちょうどそのころ、「フリースクールネモ」を知り、通うことになりました。すると、息子が少しずつ変わっていくのがわかりました。

 「ネモ」にはさまざまな年齢の子どもたちが通っています。そのなかで、息子が好きなアニメやゲームの話を自由にできる。誰かに頼られることがうれしい。いつ来ても、いつ帰ってもいいという安心な居場所。

 そうした積み重ねがあって、息子はしだいに元気を取り戻していきました。何より私がうれしかったのは、息子が少しずつ笑うようになったこと。

 そして、息子のほうから少しずつ自分の話を私にしてくれるようになったんです。

 「このタイミングしかない」と思い、私は仕事を辞めました。仕事を辞めることは悩みに悩みましたが、息子との信頼関係が少しずつ戻ってきたのであれば、この機会を逃してはいけない。

 仕事よりも、とにかく息子を助けたいという一心でした。私が昼間に家にいることの影響もいろいろ考えましたが、わが家の場合、結果的によかったと思っています。

 21歳になった息子は今も「ネモ」に通っています。息子が不登校になって7年あまり、親としての私が以前と大きく変わった点があります。

 それは「将来はどうするの?」と息子に聞かなくなったことです。息子を信じ、息子の今の気持ちを聞くこと、これを第一に考えています。

 将来についても、息子がいちばん考えていると思いますので、急かすことも否定することもせず、息子が進んでいく道を応援したいと考えています。

 今になってわかることですが、息子が不登校になったとき、親としてどう寄り添うべきだったのか。

 それは、親が息子の力を信じ、家族全員が味方になるということ。親のよかれで息子の望まぬことをさせるのではなく、また社会であたり前とされている価値観で息子を否定することもせず、今の状態をありのまま受けいれる、これが必要だったんだなって。

 親は黙って、子どもの声を聞くのがいい。言葉で言うほどかんたんなことではありませんが、これが悩みに悩みぬいて、私なりに出した結論です。

 息子は今でもイライラしたり、落ち込むときがあります。とはいえ、以前と比べると、立ち直りが早くなった気がします。また最近では「前に進みたい」と言うようになりました。

 子どもが学校へ行かない理由はいじめの場合もあれば、たんに学校が合わないという場合もあります。

 また、理由は本人もよくわからないということもあります。各々ちがいはありますが、だからこそ周囲が落ち着き、子どもの今の気持ちに共感し、家を安心できる居場所にすること。

 そのためには、子どもの力を信じ、子どもの声を聞くことが欠かせません。これが不登校のわが子に寄り添うときに、親にできることなのかな、と私は思います。(了)

「フリースクールネモ」って?

 「フリースクールネモ」は千葉県習志野市にあるフリースクール。「学校に行かない子や、家にいる子が安心して自分らしくいられる『居場所』」として2010年より居場所事業に取り組む。

 現在、小学1年生から30代までの子ども・若者が26名通っている。またフリースクールのみならず、ひきこもり当事者の集いの場である「ひきこもりサロン」、不登校・ひきこもりの子を持つ親向けの「親サロン」のほか、電話相談や個人相談も行なっている。

 詳細は下記を参照にお問い合わせを。

【連絡先】
〒275-0012千葉県習志野市本大久保3-8-14-401
(TEL)047-411-5159

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