不登校新聞

541号 2020/11/1

不登校してから私が歩んだ道は、夢が叶わずとも悔いてない道のり

2020年10月27日 13:51 by shiko

 中学1年生から不登校になった、あおとりさん(24歳)。声優を夢見て声優養成コースのある通信制高校に入学したものの、途中で夢をあきらめることに。現在は「自分に向いている仕事は裏方だ」と事務職の仕事を目指している。夢に挫折したあと、どのような心境の変化があったのか。お話をうかがった。

* * *

――あおとりさんの不登校はどのようなものでしたか?

 中学1年生の冬に不登校になりました。理由はいじめです。クラスメイトに無視されたり、教室に入ったら自分のイスがなかったりしました。

 学校の相談室で相談しましたが、解決はしませんでした。それどころか相談内容が担任の先生に伝わってしまうこともありました。

 あるとき、職員室で担任の先生が「あおとりさんがいなければね……」とぼやいていたのを聞いてしまったときの衝撃は今でも忘れられません。

 そんなこともあり、私は学校に対して不信感と反抗心を持つようになりました。

 一方でいじめはだんだんエスカレートして別のクラスにも伝わっていき、ついには学校中の生徒から無視されるようになりました。

 「学校はコミュニケーションを学ぶところ」とよく言われますが、当時はコミュニケーションどころの話ではありませんでした。

 勉強なら家でもできますし、しだいに「学校へ行く意味がない」と思うようになりました。そして中1の冬には、ぱったりと学校へ行かなくなりました。

 不登校になってからは、親と「学校へ行く・行かない」でもめましたね。私は何があろうと学校には行きたくなくて、トイレや自室に立てこもったりしていました。

 親は当初、なんとか行かせようとしていましたが、スクールカウンセラーさんと話をして考えが変わったようで、1カ月ほど経つと「家にいてもいいよ」と協力的になってくれました。

支えはアニメ

 不登校中、私の心を支えてくれたものはアニメでした。とくにテレビで再放送されていた水木しげる原作の『悪魔くん』はキャラクターがすごく魅力的でした。

 たくさんのアニメを見ていくうちに「私もキャラクターを演じてみたい、声優さんになりたい」と思うようになっていったんです。

 また当時、『不登校新聞』の「子ども若者編集部」で活動していた私は、声優の高山みなみさんにインタビューを申し込みました。

 高山みなみさんは有名な方なので、応じてくれるか不安でしたが、なんと実現したんです(本紙310号)。本当にすばらしい体験になりました。

 そうしたこともあり、声優になりたい気持ちはさらに大きくなっていきました。

 そして、声優の養成コースがある通信制高校を見つけ、入学することになりました。高校に入学してからは、とにかく忙しかったです。

 レッスンは発声や映像にあわせたレコーディングなど、声優の専門学校と変わらないハードなものでした。

 さらに、舞台のレッスンもありました。プロの講師に指導を受け、最終的にはお客さんを招いて舞台を見せるのです。

 なかには芸能業界の人が舞台を観て生徒にオファーすることもあるので、私もはりきって毎日練習に明け暮れていました。

――本気で声優を目指していたんですね。

 はい。だけど私は夢半ばでつぶれてしまったんです。理由はふたつありました。

 ひとつは、本気で声優を目指して芸能業界に近い場所にいると、業界の怖い噂を聞くこともあったんです。そういう話をたくさん聞いてしまい「声優になって大丈夫かな、怖い思いをしないかな」と心配になってしまいました。

 もうひとつは、そもそも自分が声優に向いていないと思うようになったことです。きっかけは講師の先生に「あおとりさんは裏方仕事のほうが向いてるよ」と言われたことでした。言われた瞬間は夢が否定されたショックで頭が真っ白になりました。

 でも、たしかに一見華やかに見える業界でも、怖い噂もあるドロドロした世界じゃ、私はやっていけないかもな……と、納得してしまう自分もいたのです。 

 思えばこのころが一番つらい時期でした。声優は私の夢で、そのためにこれまで本気でがんばってきたんです。

 でも、声優業界の怖さや、「自分には向いてないのかもしれない」という自覚から、気持ちがゆれていました。

 今まで必死に努力してきたのに、ここであきらめてしまったら、自分の価値がなくなってしまう気がして怖かったです。高い学費を払ってくれた親にも迷惑はかけられません。

 そうした、たくさんの思いで頭がパンパンでした。自分の気持ちを相談できる人もいなく、全部ひとりで抱え込んでしまい、孤独を感じていました。

 そんな日々のなか、いつしか「死にたい」とまで思うようになっていったんです。

――死にたいほどつらい時期をどうやって乗り越えたのですか?

 本気で「死にたい」と思っていたとき、私が中学生のころに『不登校新聞』で弁護士の大谷恭子さんに取材したときのことを思い出しました(本紙289号・290号)。

 当時の私は、お話のすべてを理解することはできなかったのですが、死刑制度などを通して「生きること」「死ぬこと」について考えさせられる内容でした。

思い出したのは

 とくに大谷さんが永山則夫事件(注)の弁護人をされたときのお話を、苦しい高校生活のなかで何度も思い出したんです。

 ずっと死にたいと思って死刑を望んでいた人が、獄中結婚した女性から「生きてほしい」という思いを受け取り続けることで「罪を背負いながらでも生きたい」と、ちがう道を選んだ――。このようなお話だったと思います。

 この話をなんども思い出すうちに私は、「一度自分で決めた道でも、あとから別の道を選び直すことは悪いことではない」と思うようになっていきました。

 これまで声優を目指すなかで、実際に芸能事務所の声優オーディションで最終選考に残ったこともあったので、別の道を選択することはもったいない気持ちもありました。

 でも、人は選び直すこともできるんです。「声優しかないと思ってがむしゃらに走ってきたけれど、私にも別の道があるのかもしれない」、そう思って、高校3年生からイラストのコースに移ることにしました。

 イラストのコースは締め切りさえ守れば自分でスケジュールを組むことができるので、自分のペースで進めていくことができます。

 まわりに合わせて無理しなくてもいいと気づいてからは、「死にたい」という気持ちも、しだいに消えていきました。

――その後は?

 声優などのキラキラした芸能業界にかぎらず、表舞台に立つ人を裏で支えるような仕事をしたいと思いました。

 高校生のときも人からよく相談されることがあって、その人を支えたり、その人の役に立ったりすることが、うれしかったんですね。

 だから「人を支える仕事に私の活かしどころがあるのかもしれない」と。いつしかそうした思いが、声優にあこがれていたころと同じように、私の夢となっていました。

 今思えば、高校生という早い段階で自分に合った将来像を見つけられたのは、よかったのかもしれません。

 裏方の仕事を志して、まずはITの専門学校に入りましたが、そこはカリキュラムに対して不信感があったので、ほしい資格だけ取って中退しちゃいました。

 今は事務職に就きたいと思い、必要なスキルを学びながら求職中です。

親御さんに伝えたいこと

 最後に『不登校新聞』の読者さんにどうしても伝えたいことがあります。それは「子どもの夢がどのようなものでも、親御さんは応援してあげてほしい」ということです。

 私は夢が原動力でした。そのおかげで、声優の夢に向かって必死でがんばってこれたんです。

 その夢がかなわないと自覚していく過程はとてもつらいものでした。でも「裏方の仕事につく」という新しい夢が私を再び立ち上がらせてくれたのです。

 心が折れる体験やしんどいこともたくさんありましたが、おかげで私は自分の生きる道を変えることができたんです。「何度挫折しても、やり直すことはできる」と、私は自分の人生を通して実感しています。

 だから、親御さんから見てお子さんの夢がどんなに実現が難しいと思えるものでも、その夢にチャレンジすることを応援してあげてほしいんです。

 もし夢がかなわなくても人生が終わることはないし、別の夢が見つかることもありますから。

――ありがとうございました。(聞き手・編集、伊藤歩・茂手木涼岳)

(注)1968年に起こった拳銃を使用した連続殺人事件。永山死刑囚は逮捕以前から恵まれない家庭環境やいじめにより自殺願望があり、当初の裁判では死刑を望んでいた。

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