「気仙沼親の会」が私たちの訪問を機に再開されることになり、私たちはそれから毎月、うかがうことにした。
 
 東京から気仙沼までは、東北新幹線で一関まで行き、一関からは大船渡線で山あいを縫って海辺の気仙沼まで行く。家を出て片道約5時間、日帰りが多くなったので、1日に10時間の移動となった。
 
 それはたいへんだったが、私たちの不登校の子どもと付き合ってきた経験、親の会を27年やってきた経験が何か役に立てるならという気持ちだった。私はそのうち大船渡線のローカルな旅がとても楽しみにもなった。春も、夏も、秋も、冬も、すべての季節がすばらしかったのである。
 
 行くたびに気仙沼の人は、いろいろなところに案内してくださった。牙をむいた自然の威力を随所に感じながら、しかし、人々の明るさや思いやり、助け合う心にも感じ入った。新しい人たちもけっこう来られるようになった。そして、悲しい話もいっぱい聞いた。ひきこもりの息子さんが津波が迫っているのに、どうしても逃げない。「僕はいいから、お母さんは逃げて」と言う。それはできないお母さんはなんとか助けようとして、二人とも亡くなったのである。
 
 不登校だったお孫さんはおじいさんと二人暮らしだったそうだが、二人とも亡くなったという。


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