不登校新聞

375号 (2013.12.1)

当事者手記「私の不登校が始まった日のこと」

2014年02月06日 16:34 by kito-shin
2014年02月06日 16:34 by kito-shin




 不登校が始まった日、当事者はどんな気持ちでその日を迎えたのだろうか。今号より、子ども若者編集部のメンバーがその日のことをリレー執筆する。
 

私には私の時間が流れている

 不登校になったのは小学4年生のときでしたが、その日のことは憶えていません。かろうじて自覚しているのは、休み始めた最初の理由が腹痛だったことくらいです。

 というのも、私の場合、休み始めたその日どころか学校に行けなくなってから3カ月くらいのあいだのことを思い出すことができないからです。のちに母が教えてくれた話によると、学校に行けなくなった私は母のそばを離れられなくなったり、トイレでは扉を開けっぱなしでないと用を足せなくなったり、突然、弟をつねったりしたそうです。

 そのあとは、気晴らしに買ってもらったポケモンにのめり込んで、どこに行くときもゲームボーイを持ち歩く日々が始まり、私の記憶とも一致してきます。

 精神的につらかったときのことは多少憶えていますが、正直、そんなことがあったと言われてもまったく身に覚えがありませんでした。

 いつのまにそんなに苦しくなっていたのか、そもそもなぜ不登校になったのかは、いまでもよくわかりません。学校に対して意見や疑問があっても、波風立てることを嫌って自分のなかに溜め込む性格だったので、ストレスが限界に達したのかもしれません。いまではひっくるめて「水が合わなかったんだろう」と思うことにしていますが、小学4年生の私にはそれを説明できる語彙はありませんでした。そして、だいたいそんな理由で学校を休んでいいはずがないとさえ思っていたのでしょう。
この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

「死のうとしたけど生きたかった」いじめにより不登校した女性が語る「生きることの意味」

626号 2024/5/15

「不登校から文科省職員に」異色の経歴を持つ藤井健人さんが目指すのは「不登校という格差」の是正

626号 2024/5/15

「親子関係は?元気になったきっかけは?」3人の経験者が語る私の不登校とその後

625号 2024/5/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

626号 2024/5/15

旅人「キノ」がさまざまな国を巡る『キノの旅 the Beautiful Wor…

625号 2024/5/1

「つらいときは1日ずつ生きればいい」。実業家としてマネジメントやコンサルタント…

624号 2024/4/15

タレント・インフルエンサーとしてメディアやSNSを通して、多くの若者たちの悩み…