不登校新聞

368号(2013.8.15)

子ども若者シンポ「多様な教育と出口を」塩山諒さん(大阪・29歳)

2014年02月26日 17:49 by kito-shin


 子どものころは本当に学校が好きで朝6時から登校してました。なんでも一番になりたかったんです。勉強でも、スポーツでも登校時間でも(笑)。

 転機は小学校3年生のとき、担任が変わったことです。非常に個性的な先生で、勉強は「本さえ読めばいい」という独自の考えを持っていた人でもありました。当時、僕はよくカゼをひいていたんですが、先生は38度を超えないと病欠を許さない。僕が休んだ翌日、先生からこう言われました。

 「将来あなたが社会人になったとき、体温が37度2分ぐらいで休んでたら家族にご飯なんか食べさせていかれへんよ」。

 そう言ってバンバン殴られました。僕はそもそも体温が低くて37度でも歩けないほどになる。けれども、そんなことは気にせず、殴られましたし、便器に顔を突っ込まれたこともありました。

理不尽さが言葉にならず


 小学生なので、その理不尽さは言葉にすることができず、ずーっとストレスを抱えていたんでしょう。ある日から、40度を越える熱が朝にだけ出るようになりました。以来、学校へ通えなくなりました。家族も僕自身も事態が飲みこめない。罪悪感も感じるし、「恥」の意識も感じる。そこにまた先生からの指導もあって、たびたびパニックになっていました。泣き叫んで、窓ガラスを割って、テレビも割って……、朝、素に戻って自責の念に駆られて希死念慮に駆られて。そんなことが1年ぐらい続いてました。

 支えになったのは、ハートフレンド制度。ボランティアのお兄ちゃんが来てくれるときでした。最初は売れない芸人さん、二番目が消防士を目指してる人。テレビの制作現場に連れて行ってくれたり、山に行ったり、そういう非日常に支えられていました。

 それと当時の希望がサッカー選手になること。本気でプロを目指してたんですが、中1のとき、サッカーができなくなってしまい、絶望しました。生きる希望、意味が見いだせない。親も支えてくれましたが、ものすごく苦しかった期間です。

 こうしたことが原体験になって、もっと多様な教育・選択肢があったらいいな、と。教育だけでなく、その「出口」となる働き方や生き方も多様な社会をつくっていきたい。そう思うようになったんです。そのために18歳から、まずはいろんな現場を見に全国をまわり、「思いをかたちにする」ため、政治家事務所やシンクタンクなどで4年間、勉強しました。08年に」NPO法人スマイルスタイル」を立ち上げ、「オールナイトゴミ拾い」や「大阪レイブル(ニート)100人会議」などの事業を展開しています。内容はぜひHP(http://smilestyle.jp/)などでも、ご覧になってください。

子ども若者シンポ「家族の視線が支えに」橋本歩美さん(兵庫・18歳)

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