3学期が始まりました。じつは、不登校の子どもにとって、とてもしんどい時期なのです。なぜなら、さまざまな決断を迫られる場面が増えるからです。
そこで、親の方に向け、学校や子どもとの関係のなかで、気をつけていただきたいことを2つご紹介します。
卒業式、卒アルどうするの問題
「卒業式は出席しますか?」」
「卒業アルバムに載せる文章や写真はどうしましょうか?」。
ご家庭によってはすでに、こうした連絡が学校からきているかと思います。「最後の節目ですから」という担任の言葉は、親の気持ちをぐらつかせます。
有終の美、人生の節目などの区切りはたしかに大事です。しかし、ここで大切なのは「それをすることによって心が軽くなるのは誰か」ということです。
最近では、卒業式の本式ではなく、卒業証書授与を校長室で行なうケースも増えています。
校長から卒業証書をもらう姿を見て、「一区切りついた」と、担任は(ときに親も)ホッとするかもしれない。
でも、子どもの気持ちは別です。本当は行きたくないのに、周囲の期待に応えるべくがんばっているとしたら、満足しているのは大人だけということにもなりかねません。
新年度から行く親子の約束問題
もう一つよくあるのが、「新年度から学校へ行くから」と、子どもから親に約束をしてくる場合です。
周囲の期待をすべて拒否するのも心苦しいがゆえの苦肉の策だったり、取り急ぎ学校の話題を避けたいなど、背景にはいろいろな理由が考えられます。
もちろん、子どもが心からそう思っていることもありますが、焦りの気持ちから出ている場合、この約束をすることで、かえって子ども自身が追い詰められる場合があります。
約束した後しばらくは安寧の日々が続きますが、新学期が近づくにつれ、本人のなかでカウントダウンが始まります。
えてして、約束したことを守ろうとしますから、カウントダウンするなかでのつらさは、子どもが本人のなかだけで抱え込んでしまいかねないのです。
優先すべきは?
なぜつらいのかと言えば、「今はそのタイミングじゃないのに、決断を迫られるから」です。
ただ待つだけでは大人も不安ゆえ、子どもが動き出すような働きかけをしたくなりますが、本人にとって時期尚早であれば、意味がありません。
そもそも、卒業式に出なくても、卒アルがなくても、人は生きていけます。
でも、本人のタイミングを無視して決断を迫るようなことを続けてしまうと、私が思うに、「その人ではなくなってしまう」のではないでしょうか。
周囲の雰囲気にあわせることなく、本人のタイミングを最優先する。それが「子どもを信頼する」ということだと、私は思います。(『不登校新聞』小熊広宣)
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