連載「仮説なんですが…」vol.30
仕事をするなかで、不登校の当事者から「自分の経験を活かしたい」「誰かの役に立ちたい」というフレーズをよく聞いた。けっしてきれいごとではなく、真摯な思いを私は感じた。
しかし、そのフレーズを聞くたびに、共感と違和感が入り混じった複雑な気持ちになるのだ。
共感のほうが強いのかもしれない。私も「誰かの役に立ちたい」という思いからこの仕事を志した。そして何より、現在は家族のなかで「役に立つ存在でありたい」と痛烈に思っている。
私は夫と夫の両親と暮らしている。妻や嫁としての役割を果たさなければと思うが、その能力が私にはない。
料理がキライだし、家には居ないし、家計の計算もできない。妻や嫁の仕事を、やらねばとは思うのだが……、「嫁業」の正解がわからず、フリーズしてしまう。
私が高収入者ならいいのだ。一家の大黒柱として家族の役に立てる。しかし現実はちがう。仕事は忙しく家をおろそかにするが、給料は高卒の初任給にも満たない。また、私たち夫婦には子どももいないし、できる気配もない。
「嫁」「妻」「社会人」の役割がまっとうできないこと、その後ろめたさが募ってくると、私のなかの常識センサーがけたたましく鳴る。
読者コメント
匿名
一般公開 こういうことって、ありますよね。 どんなところでも、どんな...
akatsuki
一般公開 わかります〜。自分で自分を呪縛する「自己規制」ってやつです...