「明日は学校に行くね!」。夜、娘がそう伝えてくると本当にほっとした。よかった、これで明日の朝から布団のなかで丸まっている姿を見なくてすむ。明日は、元気に「行ってきます!」と登校するんだと思うと、うれしかった。
でも、新しい朝が来ると、娘はまだ布団のなかで丸まっている。幼児期ならさっと抱っこして連れていけたが、6年生にもなると抱っこなどとうてい無理。娘の気持ちが学校に向かうまで待つしかない。
「行くって言ったのに」。がっかりした朝は何度もあったが「明日は行く」と言えるのは、何か気持ちの変化が起こっているのではないかと思うようになった。「行く」と「行かない」のあいだの「行こうと思うけど行けない」というグレーゾーンにいたのかもしれない。たぶん行かないことは目に見えている。
朝は布団から出てこなかったが、お昼すぎに私が勤務から帰ってくるときには「おかえり~」と笑顔で迎えてくれた。2人でちょっと遅い昼食を食べるとその後はどんどん元気になっていく。
心が冷えて固まっていく
娘の心は本来、ふわふわの真綿のようで温かなのだと思う。笑顔でいるときの娘の心はぽかぽかだ。だが、布団で丸まって学校に行かない朝、娘の心は固く冷たく氷のよう。
1日かけてようやく心が溶け始めると「明日は学校へ行けるかもしれない」と思うのだろう。
でも、夜中にいろいろ考えて、学校のようすを思い浮かべると、また心は冷えていく。そして朝には起きることができない。きっとそうなのだろうと思った。
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