不登校新聞

512号 2019/8/15

帰国子女から不登校になった私 周囲は気づかなかった心のダメージ

2019年08月15日 16:26 by shiko


佐藤祥子さん

 NPOの中間支援組織「NPOサポートセンター」で働く不登校経験者・佐藤祥子(しょうこ)さんにお話をうかがった。

* * *

――不登校当初のことを教えてください。

 不登校になったのは中学2年生の5月ごろです。そもそも親の仕事の都合でタイに住んでいたので、幼稚園から小6までは日本人学校に在籍していました。帰国してからは中高一貫の女子校に入学しました。

 不登校の理由はいろいろありますが、そもそも日本の環境になじめなかったんだと思います。

 満員電車に乗ったことがないとか、タイは1年中、夏なので日本の寒さがつらいとか、そういう環境変化に体がついていかず、よく体調を崩していました。

 とくにひどかったのはノロウィルスです。ほかのウィルス症状が混ざっていたのかもしれませんが、月に1度ぐらいは、ノロを患ったかのような症状に苦しみました。

――同級生たちとの関係はどうだったのでしょうか。

 合わなかったですね。タイの文化と日本の文化がちがうこともよくわからず、それに気がついたのは中学校の登校初日でした。

 みんなに「いぇーい、よろしく」って、タイでの雰囲気のままガンガンあいさつしちゃったんです。伝統的な学校だったので、悪目立ちしちゃったんでしょうね。

 そこからは「いじり」の対象になっていきました。明確ないじめではなかったと思いますが、ジワジワと自分の居場所がなくなっていく感じというか、異物として扱われていく感じに傷つきましたね。

 体調面といじり、そしてもうひとつ私が苦しかったのが勉強でした。体調不良で勉強ができないうえに、日本の勉強のレベルにもついていけなかったんです。

 それまでは親の期待に添う「よい子」だったのに、成績が下がって怒られることはとてもつらかったです。

ノロウィルスから摂食障害へ

――なるほど、いくつもの理由が重なっての不登校だったんですね。

 中学2年生になってすぐ、ひどいノロウィルスにかかりました。ノロウィルスが治ってからも、そのときの苦しさが忘れられず、食べることさえ怖くなって摂食障害になりました。

 体重も40㎏台から30㎏があるかないかまで減り、自然と体力も落ちて外に出るだけで具合が悪くなっていました。もう悪循環にハマって学校どころじゃない、と。

――周囲はどんな反応だったのでしょうか。

 私も周囲も体調不良が原因だと思っていたので、「学校へ行きなさい」という人はいませんでした。

 ところが、学校へ行けない日が長くなってくると、病院へ行かされたり、親が不登校情報を集めたりするようになってきました。

 このころは苦しい時期でした。親の期待に応えられない自分自身がすごく悔しかったですし、摂食障害も続いていたので、入院が必要かどうかの話し合いもしていました。

 頭のなかでいろんな不安と焦りがあふれてきて、夜通し自分の心配をふせんに1個ずつ書くこともありました。

 そんななか、親は「親の会」をしているNPOを知り、さらにはカウンセリングを受け始めます。

 そのなかで、学校へ行けないのは体調が悪いだけではなく、心が無理していたこと、親がこうあってほしいという子ども像に私が苦しんでいたことに、気づいていったそうです。

 一方、私も月に一度の地域の料理教室や塾通いを始めるなど、少しずつ行動できる範囲を広げていく時期でした。

――その後、高校進学はされたのでしょうか?

 私立中学校だったので高校には進学できるものの、卒業は難しいだろうと伝えられました。

 そこで、フリースクールも含め、いろんな不登校の子が通う場を見学し、通信制高校のサポート校に通うことにしました。

 その学校に決めたのは「ふつう」に戻りたかったからです。制服を着て、毎日通う「ふつう」の高校生になりたいって。

 でも、いざ入ってみると、最初にとまどったのは同級生たちとの会話です。みんなが大好きなアニメや漫画の話にはついていけず、また苦しくなってしまいました。

 ただ、アルバイトを始めてからはバイト先で楽しくすごせたので「私は私でいいんだ」って、少しは思えるようになってきましたね。

 だんだんと体重も戻ってきて、学園で友だちとアニメ以外の話もできるようになり、恋もしました(笑)。

――充実していた時期なのでしょうか?

 いえ、サポート校に通う自分は「ふつうじゃない」という気持ちが強かったです。なんか、悔しかったなあ。

 それで「ふつうになりたい」と思い、高校の在学中から大学進学を目指して予備校に入ったんです。でも目の当たりにしたのは、キャピキャピして楽しそうな女子高生たち。

 それがまた悔しくて猛勉強して偏差値30から大学に入りました。ところが大学入学後も、また友だちはできませんでした。

 飲み会のノリも怖かったし、最初のころは「便所飯」もしていたんです。トイレで食べなくてもって思うけど、ベンチにひとりでいるのを見られるのもつらくて、何百人といる大学内で孤立していました。

――「ふつうになりたい」という気持ちへの転機が訪れたのはいつでしょうか。

 2011年に東日本大震災が起きて、ボランティアを始めたときです。岩手県大槌町へのボランティアツアー参加が契機ですが、最初は親からも反対されました。でも、やりたいことを初めて自分で選んだのが、このときだったんです。

 実際に行くと、活動を通じて人とコミュニケーションをとることにも慣れましたし、私は日本に地元がなかったから、そういう場所ができた感覚もすごくうれしかった。

 大槌町には会社を休んで活動している人、現地でNPOを始めた人など本当にいろんな人がいて、いろんな「ふつう」があることに気がつきました。

 ツアーで出会った人たちとも意気投合し、帰ってきてみんなで学生団体を立ちあげました。その団体の活動のなかで、自分なりの社会との関わり方ができるようになっていった気がします。

 親から精神的に自立したのも、このあたりの時期だったかなと思います。

――現在の仕事に不登校経験は活かされているのでしょうか。

 不登校の経験があったから、今の仕事につながっていると思います。ボランティア活動のあとも「ふつうになりたい」のと、やりたいことがあって大手企業に就職しました。

 結果的にスキルはつきましたが、うまく自分を表現できなかったなと思います。

くり返し失敗した理由

 きっと「こうしたい」よりも、「こうすべき」を無意識に選んでいたから、苦しかったんですね。

 私が思い描いていた「ふつう」は、親の期待や願い、中学校で感じたジェンダーバイアス(社会的・文化的につくられた性差のこと)などからも影響があったと思います。

 それがサポート校に通い、ボランティアをしているうちに、自分に合うことや嫌なこと、「ふつう」とはちがう自分にだんだんと気づけるようにもなってきました。

 私が悩んでいたことは「個人」に問題が帰結されるべきではなく、社会化されるべきだと思います。

 不登校の議論は、親の子育てや学校教育の善悪に論調が偏ることがあります。でも、親や先生を責めても問題解決は難しいですよね。

――とっても同意します。

 私は今、NPOサポートセンターで人材育成事業をしながら、団体内で「N女プロジェクト」を、団体外では任意団体「ALT(オルト)」もたちあげています。

 どちらも、ミッションは社会に存在する「こうすべき」という価値観やジェンダーバイアスを超えて、自分らしい生き方、働き方ができる女性を増やすこと。

 トークイベント・コミュニティづくりや企業との協働事業などをしています。「キラキラじゃない体験」も含めて共有できたら、と。

 親や社会が決めた「あるべき人生」ではなく、多少苦労しても自分がしたい生き方で仕事をえたり、生活ができたりすればよいなと思っています。

 そう考えると、私も自分のリアルを伝えたいなと思いました。「こうすべき」に支配されているなと思うことが今でもあるし、「コミュ障だな」って思うこともあるし、不登校を経験して人目を気にするクセだってまだあります。

 前とちがうのは相談できる人ができたことでしょうか。友人や団体のメンバーはもちろん、摂食障害のときに通っていたカウンセラーとも10年くらいのお付き合いです。

 だから不登校じゃなくなったからすべてがハッピーになったということでもなくて、やっぱり悩みながら生きているというのが本当の私なんですよね。

――ありがとうございました(聞き手・赤沼美里、石井志昂/撮影・矢部朱希子)

■略歴/佐藤祥子(さとう・しょうこ) 1992年生まれ。小学校までをタイで過ごし、中学2年から3年まで不登校。通信制高校を経て大学に進学する。在学中に経験した東日本大震災をきっかけに、東北支援の学生団体を設立。一般企業を経て、2016年よりNPOサポートセンターに所属。人材育成事業や地域の社会貢献活動をコーディネートをするほか、ジェンダーにまつわる課題・女性が生きる・働く上での課題解決をめざすN女プロジェクトと任意団体ALTを運営する。

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