私は「高校生活が始まれば生まれ変われる」と期待していました。高校生になった私は本気を出して勉強をしてよい生徒になり、自由な校風のなかで出会った気の合う友だちと、青春を味わうのだろう、と期待を抱いて入学面接に行きました。
その学校はオフィスビルのワンフロアにこぢんまりと構えてあり、スーツを着た初老の男性が、いかにも社会生活にハンデのある子に接するように、かんたんな言葉でいくつか質問をしてきて面接は終わりました。
帰り際、狭い校内で顔を合わせた若い先生と女子生徒とは、空間が狭いゆえの会釈をして終わりました。私はいたたまれず、その一度の登校で心身ともに疲れきってしまいました。「ああ、私の入る学校は最底辺の学校で、私は最底辺の学校でもコミュニティの圏外の人間なんだ」と思いました。そもそも初めから拒絶している学校という空間で、"コミュ障”の私と気の合う気さくな友だちができるほうがおかしいのです。
私はやっぱり高校の付き合いなんてくだらないとあらためて思い直し、不登校の友だちとだけ仲よくしようと思いました。選民思想的な気持ちでしたが、そう思わないと心が折れそうでした。
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