~1/15の読者アンケート結果を受けて生まれた企画です~
わが子が学校に行かなくなったとき、親はなぜ不安に駆られるのだろうか。頭では理解したつもりでも、つねに湧いてくる不安と、どう向き合えばいいのか。1月15日号で実施した『Fonte』読者アンケートで寄せられた回答をもとに、かつて不登校の子どもの父親だった小林繁雄さんに、当時の心境などをうかがった。――お子さんの不登校からお聞かせください。
小学校5年生になったばかりのころ、突然娘が登校を渋るようになったんです。それが中学3年生まで、約5年におよぶ不登校の始まりでした。
私も初めは、会社から電話をかけて娘がちゃんと行ったかどうかを確認したり、また会社が休みの日には、玄関からランドセルと娘を放り出して内側から鍵をかけたこともありましたね。無理やりにでも学校に行かせようとしたわけですが、娘は玄関の外で泣きじゃくり、本当にひどいことをしたと思っています。
いじめられていたわけでもなく、あまりに突然のことで何が何だかわかりませんでした。5月の連休明けからは、ほとんど行かなくなりました。当時は不登校ではなく「登校拒否」と呼ばれていた時代。情報も少なく、不安ばかりが募っていったのです。
――親としての不安、それは具体的にどのようなものだったのでしょうか?
大きくは2つ、「娘の現在」と「娘の将来」です。家に居る娘は昼夜逆転し、風呂にも入らない。「心の病気にかかってしまったのでは」と心配でたまらないわけです。そんな姿を見ていると、「この子の将来はどうなるんだろう」という不安が首をもたげてくる。いま、不登校の子どもを持つ親の不安も、えてしてこの2つなのかな、と思います。不登校をめぐる状況はこの間、大きく様変わりしましたが、親が抱く不安の根っこはさほど変わっていないんじゃないか、と思いますね。
父親の不安 母親の不安
――父親だからこその不安もあったのでしょうか?
不安の中身が父親と母親でちがうかどうか、はっきりとはわかりませんが、親からすれば現在も将来も心配ですよね。ただ、わが家の場合、どちらかというと妻は「娘の現在」を案じ、私は「娘の将来」に対する不安のほうが強かったのかなと思います。社会人として、娘の現状と将来像がどうしても結びつきませんでした。会社という「社会」の最前線を目の当たりにして、「将来きちんと働いて自活できるだろうか」とか「親が死んだらどうなる」とか次々と不安が積もっていきます。
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