執筆したのは、不登校経験者のPNよいこのつぐみちゃん(25歳)。「働けない」という思いに苦しみながらも、最近になって「人生観を変えた」という。

 去年、バイトを辞めた。働きたくなかったけどお金のためにしてた薬局のバイトだ。私にはたくさんのお金が必要だった。精神科に通うのに金がかかる。過食嘔吐があるので、吐くために使う食材にも金がかかる。
 

鉛のように体が重い

 
 バイトから帰ったあとは過食嘔吐して空っぽの腹に酒と睡眠薬を流し込み、「もっともっとシフトを入れれば食費なんぞなんぼのもんじゃい!」と思って寝た。翌日はいつも地獄だった。二日酔いじゃない日はなかった。鉛のように重い体と下痢に耐えながら出勤していた。酒や過食で肥えてきた自分の体への嫌悪感、激しい鬱と「死にたい」という気分だけが映画館のスクリーンに写っていて、24時間それを観せられている気分だった。薬が増え、酒が増え、過食嘔吐が増え、体重が増え、だけどシフトも増え、もう抱えきれなくなった。「働けないかもしれない……」と泣きながら親に電話した。親は受けいれてくれた。いろいろ文句を言おうと思えばいくらでも言えるような親だが、このときは救われた。マジで助かった。それから、今度は職場に電話して退職を申し出た。死ぬぐらいの勇気だった。
 
 それからしばらく布団にこびりつくように生活し、ずっとユーチューブを観ていた。でも、「それでいい」と思うことにした。「こんなんじゃダメだ」と思うと涙でユーチューブが見えなくて不便だったから。
 
 「私はたくさんの金が必要だから稼がなければいけない」と思っていた。働くのがきついなら、薬や酒や過食嘔吐をプラスしてバランスを保とうと思っていた。でも、なんかへんだなと思った。

 「そもそも、働かなければ酒も過食も必要ないのでは?」と。金のために働いていたはずが、いつのまにか、働き続けるために食べ物と酒を買っていた。
 
 資本主義の奴隷だったと思う。資本主義社会では価値を生み出し資本を増やすのが正義だ。お金を稼いで、使って、増やす。問題がおきたら酒や薬をプラスしてごまかして、また働く。足して足して増やして増やして、それで私はパンクした。
 
 今、私は働いていない。社会に貢献してない。でも、働かなくなったらストレスが減った。ストレスが減ったら酒量が減った。過食嘔吐も減った。過食嘔吐が減ったから食費も減った。増えた体重も減った。そして、自己嫌悪も少しずつ減った。
 

マイナスしたらワクワクが

 
 いろんなことをマイナスしたら余白がうまれた。そこに、今まで入る余地のなかった「楽しそう」とか「やってみたい」というワクワクした気持ちが入ってきた。私はいま、毎日やりたくてたまらない筋トレとジョギングをしている。これをしてるとドーパミンが出て死ぬほどハッピーになる。いろんなことをマイナスするとハッピーになれることに気づいた。
 
 「イヤだけど無理すればできる」ことは続かない。それは「できない」ことと同じ。やらないほうがマシだ。費用とエネルギーは溜めておいて、それをつかってマジでワクワクがとまらないことをしたほうがいい。ゲームでも筋トレでも、なんでもいい。結局、楽しいことでしか人は価値を生み出せないし続かないとわかった。将来のために若い時代を犠牲にして、最終的に薬や精神科に頼るのは、やっぱり金と時間のムダな気がする。
 
 死にたいときもある。でも私の肉体は私が望んでいないときでも生きよう生きようと生命活動を続けていて、老いは確実に私をハグしてくる。「なんのために生きているんだ」と鬱のなかで考え続けたあのころの私への回答は「楽しいって感じるため!」。これしかない。
 
 金がなければ親とか国とか、あるやつからもらえばいい。「べき論」ほど無意味なものはない。「こうしなきゃいけない」ということなんて、じつは何もないんだ。(PNよいこのつぐみちゃん)