今回、不登校経験を書いてくれたのは、土屋望さん。不登校のいきさつ、つらさ、そして「回復のきっかけ」などについて、書いてもらった。
忘れもしない、中学3年の12月上旬。下校後、自宅で大好きなドーナツを食べたとき、突如とてつもない吐き気に見舞われた。それからほどなくして体調が悪化し、私の不登校が始まる。中学のうちは休みながらも何とか学校に行っていたが、高校の3年間は、ほとんど学校へ行くことができなかった。私が不登校になった原因は、今こうして考えてみれば、勉強や進路のこと、両親との関係、友人関係、燃え尽き症候群のような状態になったこと、体調不良など、「複合的」な理由からであったように思う。
私は幼稚園のころからずっと、「学校」と言われる場所が好きではなかった。環境になじめず、友人関係も築きづらく、いじめられていた時期も約4年ある。学校でそんな状況だったのにも関わらず、家庭でも「いい子」を演じていたため、私には反抗期がなく、私の心身はつねに緊張状態だった。しかし、ひとつだけ救いだったのは、小さいころから習っていたピアノである。大好きな音楽が、私の唯一の居場所となってくれていた。
そんな私が中学入学後に選んだのは、練習が厳しいことで有名な吹奏楽部だった。ピアノ以外にもさまざまな音楽をやりたいという気持ちから入部し、評判通り練習に加え、人間関係も厳しかったが、元来の責任感の強さや、厳しさのなかにも楽しさを感じていたため、辞めようとは思わなかった。
"音楽をやりたい”
中学3年になり、進路選択のとき、私は音楽科のある高校へ行きたいと思っていたが、両親は私が音楽の道に行くのは反対だったため、激しく対立をした。結局、両親の言う通り、自分の想いを押し殺し、普通科高校に進学することを決めたが、私のなかにはまだ、「本当にやりたいことは音楽なのに」という気持ちがくすぶっていた。
そんな状態のなか、勉強にも支障が出始めた。中学3年の秋ごろから、成績がどんどん下降し始めたのだ。しかし、受験校を変え、何とか合格をすることができたため、山場は越えられたと思っていたが、それでは終わらなかった。卒業式後にあった部活の演奏会での引退をきっかけに、私は小さいころから積み重なってきた緊張状態から解き放たれ、燃え尽きてしまったのだ。しかし、「ここで踏んばらないわけにはいかない」と、高校入学を機に、心機一転がんばろうと心に誓ったが、私の心身はすでに限界を越えていた。私の身体は言うことを聞かず、4月から休んでばかりいた。
こうして、長い時間をかけて生きづらさやさまざまなことが重なり合い、高校1年の5月のある日、張りつめていた糸が突如プツンと切れ、電気のブレーカーが落ちるかのように、心身ともにパタンと倒れてしまった。しかし、行けなくなった当時は、なぜ自分が学校に行けなくなったのか、また、どうしたらいいのか、わけがわからなかった。突然目の前に現れた、「学校に行けない」自分。意に反して、突如、何事に対してもやる気が起きない状態におちいり、そのときは、もう何もしたくないと思った。勉強も大好きなはずの音楽も、何もかもすべて。
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