◎編集会議の日は趣味の自転車に乗って20㌔を走ってくる、なかたくん

 初めて親に「もう行きたくない」と言った日、何度か行こうとしたが「やっぱりダメだ」と思った日、「その日に見た景色を忘れられない」という人も多い。一方で、その日のことはまったく覚えていないという人も多い。不登校が始まった日、本人たちは何を思い、どんな景色を見ていたのだろうか。子ども若者編集部がつづるリレー連載、第3弾。

たいがいはひとりでした

 私の不登校がはじまった日は高校2年生の11月なかごろでした。もともと幼稚園児のころからむりやり親や教師に学校へ連れて行かされていたので、そのストレスが17歳にして耐えきれなくなったのだと思います。 

 通学(幼稚園、小中学校)していた当時は心を閉ざして何も考えないように努めていました。 そうしなければ自我を保てなかったのでしょう。登校してもなにをしてよいのか、わからなかったのです。自分以外の人間が楽しそうにしているようすがたいへん気色悪く、また同調を強いられていると感じたことをよく覚えています。放課後になろうとも、気をつかわずにすむ友人はおらず、たいがいひとりでTVゲームや妄想、読書をしてすごしていました。自己主張もしないため、はたから見れば考えの掴み難い人間に見えていたはずです。ときおり、行きたくない学校に行かなくなったらどうなるのだろうと考えたりするのですが、決まってそう考えるのをやめていました。そんな「通うことが当たり前だ」と教えられた世界を自身が疑い始めると自身の存在、ひいては生き死にをも考えなくてはならなくなるためです。
 
 毎日同じようなくり返しで、ずんずん感覚も鈍り、そのうちに高校生なりました。 
 
 そもそも高校受験をしたこと自体、自発ではなく周囲に便乗したことが一番大きな理由です。受験をしなければ、またするとどうなるのか。仮に働くとしても働くとは何なのか。それがまったくわからず、自身の将来にある多くのあいまいな不安を家族の期待や同世代の進学一色の景色に紛れさせたのです。

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