「空気を読む」とか「KY」とか、イヤな言葉が流行っている。若々しい心身を持つ人たちがこの臆病な言葉にとり込まれるとはどうしたことだ! と七十老人のわたしは、すっかり腹を立てている。「そんなにムキにならずに。冗談、冗談」という声もあろうが、そうはいかない。自分ではふだん若者言葉に目くじらを立てるほうではないと思っているが、今回ばかりは「空気を読むを死語にする運動」を立ち上げたいと思うくらいだ。この言葉が「多数派の空気に従え」という陰湿な圧力を含んでいると思うからである。こんな言葉が流行する時代は、まさに危ない。
「空気読めよ!」という言葉の核心をわたしなりに翻訳してみるとこうなる。「力を持つ者の意向を察して、言われなくとも自分からそこに合わせろ」。これがもっとも当てはまる場面は、言わずと知れたイジメであろう。「あいつハズそうぜ」とはっきり言う者はいなくとも、以心伝心、大人にバレないようにイジメは進行する。そこに同調できない「不器用」な者やはっきりと別の考えを持つ者に、さきの言葉が投げられるのだ。強い者に自発的に服従する空気。あの戦争中が、まさにそうだった。この「問答無用」の風潮は、対話や議論を封じ人と人の対等な関係を阻む。
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