不登校新聞

404号 2015/2/15

不登校、家族全員のキモチ 母「私が一番困ったこと」

2015年02月13日 18:10 by shiko
2015年02月13日 18:10 by shiko


 不登校の捉え方は、親と子、立場がちがえば、ずいぶんと変わるもの。今回はぜひ実現したかった親子3人へのインタビュー。まずはお母さんにインタビュー。お子さんの不登校をどう見ていたのだろうか。

不登校、家族全員のキモチ


――お子さんの不登校はいつごろからですか?
 息子(現16歳)が小学校に入ってすぐです。小学校1年生の4月から「学校はつまらない」「授業がおもしろくない」「先生がイヤだ」と言ってました。いじめがあったわけでもないし、保育園からいやがっていたわけでもない。ただただ「つまらないから行きたくないんだ」と。
 
――どう思われましたか?
 「やっぱりな」と思いました。もともと私は「シュタイナー学校」に通わせたかったんですが、経済的に無理と判断、仕方なく「ふつうの学校」を選択していました。「学校がつまらない? 当然でしょ? だからなんなの? 死ぬほど、イヤじゃないなら行ってほしいんだけど。無料なんだし」とも思ってました。
 
 うちは一人親家庭ですから日中、家には誰もいません。理由はなんであれ、小学1年生の子を家に一人で置いておけません。火事になったら、怪我をしたら…、そう考えると、グズる息子を無理やり引きずって学校に放り込むしかなかった。学力低下とか将来の不安とかいう考えはいっさい沸きませんでした。「今がどうにもならないんですよ! 今が!」っていう話です。
 
 そうして「強制登校という暴力」を行使しておきながら、「学校がいやだと思うのはへんなことではない、先生の言う通りにしなくてもいい」と息子に言い続けてました。「でもね、うちは貧乏だから給食が0円で食べられるの! 先生なんか無視でいいよ! とにかく給食を食え!」って(笑)。もちろん息子は納得せず、強制連行→下駄箱で怒鳴りあう→廊下で物をぶつけあう、それを毎日くり返し親子ともども疲れはててました(笑)。
 
 登校後は友だちと和気あいあい、家では「学校なんて燃えてなくなれ」とか「校長、死ね」とか言ってて。こんなに自分の気持ちを押し込めていたら精神が歪んでしまうんじゃないか。それが一番心配でした。
 

息子が爆発して

 
 そんな息子が爆発したのは1年生の後半、何を聞いても「怒鳴る・暴れる・キレる」で会話がいっさい成り立たない、イメージで言うと火の玉みたいな感じで。「ダメだこりゃ」と思い、学校には「しばらく行かせない」と電話をしました。その間は当時、営業職だったので営業車に息子を乗せていました。それからしばらくして、実家の助けを借りたほうがいいと思い、実家に帰りました。息子がネフローゼを患って入退院をくり返していたのもありましたからね。
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