不登校新聞

409号 2015/5/1

「お金」と「みんな」を主語にしない 三枝孝之

2015年04月30日 15:52 by kito-shin


 無償で宿泊と食事を提供する「NPO共育学舎」(和歌山県新宮市熊野川町)には現在、全国から若者が集まっている。代表の三枝孝之さんにお話をうかがった。

――三枝さんが、子どものころは、どんな感じだったんでしょう?
 私は昭和22年生まれですが、家は農家で、親は朝から晩まで畑に出て、夜なべもして、昔ながらの農家の生活ですよね。小学校の低学年ころまでは、そんな生活でした。それが昭和30年代に入って、一気に社会が変わっていった。
 
 自分の住んでいる地域(静岡県三島市)も、大企業の東レが来てからガラガラ変わっていった。田んぼや畑は宅地化され、富士の裾野には、どんどん大企業の工場が建てられていきました。
 
――そんななか、三枝さんも学校に疑問を持たれていたそうですね?
 中2のとき、なぜ勉強するのか、何のために働くのか、何のために生きるのかという疑問が生じて、それを先生や周囲に話してみても、それに応えてくれる人は誰もいませんでした。それから勉強に興味がなくなりました。高校にも行きましたが、休みがちで、卒業後は進学も就職もしませんでした。いまで言う、「ひきこもり」「ニート」ですね。
 
 でも、昭和40年のことで、まさに右肩上がりの時代、高度経済成長期です。みんなが一丸となって働いて、得たお金でモノを買って幸せになれるという時代だった。それなのに、ぽつんと、その波に乗らなかったわけです。病気でもケガでもなく、見た目は働ける状態なのに働かず、進学もしなかった。
 
 だから、周囲からは非国民扱いでしたね。いま思えば、親はずいぶんつらかったと思います。「おまえみたいな子どもを育てて、世間様に申し訳ない。何回おまえの首をしめようと思ったかわからない」と言ってました。
 

金儲けには向いていない

 
 その後、いったんは公務員になったんですが、すぐに辞めてしまいました。周囲からは「根性がない」「根気がない」「怠け者だ」と責められましたが、自分のなかではずっと、何のために生きるのか、考えていたんです。それで、田舎にいてもしょうがないと思って、東京に出ました。10年くらい、日雇いやバイトでその日暮らしを続けて、そこで、いろんな人に出会いました。いくつか外国にも行って、さまよい歩くなかで、わかったことのひとつは、金儲けは自分に向いてないということ。
 
 そこで、とにかく働かないと決めたんです。30歳過ぎから、しばらく禅寺に入ってみたりもしたんですが、禅寺も世間とまったく変わらなかった。これは自分なりにやるしかないと思って、40歳ごろから、世間との縁を切って、伊豆の山中で、電気も水道もガスもない小屋に、10年間ほど、ひきこもりました。
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