平成18年10月、滝川市教委は記者会見で、遺書から明らかにいじめ自殺であることが明白であった滝川市いじめ自殺事件(本件事件)を、「自殺の原因がいじめでない」と、記者会見した。その後、マスコミや当時の伊吹文部科学省大臣から、遺書内容を見ても「いじめを否定するのはおかしいのではないか」などといった批判が、市教委に殺到した。市教委らは、やむなく自殺の原因は「いじめであった」と答弁せざるを得なくなった。その後、調査委員会がつくられ、同年12月に調査報告書がつくられ、自殺の原因がいじめであったことを認めた内容が明らかにされた。これで一見落着したのではないかと思われた。
しかし、この調査報告書には「担任はきちんと指導してきた」「県も指導してきた」「市も遺書によってその後調べたら、自殺の原因がいじめであったことがわかった」などといった趣旨の報告が記されていた。再び原告ら遺族の方は、隠蔽によって傷つけられ、この問題が解決しなかったために、遺族の方は、やむなく私たち弁護士のところに相談し、平成20年12月、裁判を提起せざるを得なくなった。
裁判のなかで、担任や市の教育長(当時)などの証拠調べがあった。その結果、担任は自殺の原因がいじめを認めた調査報告書が問題であるようなことを述べた。また、市の教育長(当時)は、批判を受けたために、当時はやむなく、いじめを認めただけで、市としては調査しておらず、本当はいじめを認めていないような証言もした。市や学校や担任は、いじめ自殺を裁判のなかでも否定し隠蔽しようとしている姿が明らかにされた。
裁判官にも私たちにも驚きをもって、今の日本における教育現場の荒廃を見せつけられた。本件事件が平成18年に社会問題となり、自殺があった場合には、いじめの隠蔽を許さず、調査報告義務を徹底させようと文科省も種々の表面上の通達を出した。しかし、いじめによって苦しめられている子どもの人権の視点に立った本質的な転換とならない状況が本件裁判を通して浮かびあがった。
私は今、埼玉県北本市のいじめ自殺事件をやっているが、前述した構造があるために文科省をも被告として裁判をしている。
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