不登校新聞

260号(2009.2.15)

第3回 不登校を「肯定」しきれたか

2014年04月17日 15:25 by 匿名
2014年04月17日 15:25 by 匿名

連載「不登校再考」


 1月に行なわれたJDEC(日本フリースクール大会)で、不登校もしくはフリースクールにとっての20年ということが頭の中で、うごめいていた。「不登校が一般化してきた」「もう特別の存在ではなくなった」と多くの人は感じている。では、われわれ不登校関係者は何を築きあげてきたのか? 不登校経験者は、本当に自分に対する倫理的な否定感や、社会や親への後ろめたさを感じなくてもよくなったのだろうか? 学校に行かない生き方も一つの生き方として、過去の人生に自分の人生を積み重ねながら生きているのであろうか?
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