記者コラムに紹介された「棋士・羽生善治さんに聞く不登校」を2009年1月1日号の本紙より再掲します。


――羽生さんはどんな子どもでしたか?
 ふつうの子でしたね。勉強の成績は真ん中くらいだし、目立ったこともしないし、可もなく不可もなく、つつがなく過ごしてました(笑)。

――将棋を始めたのはいつごろからですか?
 家族では誰も指す人がいなかったので、友だちに教わったんです。小学校2年生から週末に将棋教室へ通い始めましたが、それも親の都合というか、「買い物のジャマだからあずけちゃおう」と思ったのが、きっかけだったみたいです(笑)。

――プロ棋士を目指したのはいつですか?
 プロ棋士養成機関の「奨励会」に入ったのが12歳のとき。まだ小学生でしたから、はっきりと将来のことを考えていたわけじゃありませんが「将棋を続けていけたらいいな」とは思っていました。
 しかし、「奨励会」には26歳までに四段にならないと退会しなければならないという年齢制限があります。お世話になった人たちが去っていくようすを目の当たりにし、子どもながらに「遠足気分で来るような場所ではないんだな」というのを肌で感じました。

――将棋をすると相手の性格がわかることってありますか?
 これはよくわかります。どうしてかというと、指した手はウソをつけないからです。向こうもこちらも一手ごとに意味があり、その読み合いをするわけです。タイトル戦などで長時間、向き合っているとホントによくわかってきます。
 

意識してアクセルを


――対局中に勝負の分かれ目を迎えたときに心がけることは?
 プロ棋士になって22年がすぎ、対局数も1000局を超えました。必然的に勢いだけではなく、経験に基づいた将棋を指すことが多くなってきました。ただ、それはかならずしもいいことばかりではありません。「経験がある」がゆえに、失敗を避けようと無意識でブレーキを踏むことが多くなってしまうからです。重要な局面であればこそ長く考えて迷ってしまう。迷ってもしょうがないこともあるんです。そこで心がけているのは、「意識的に少し強くアクセルを踏む」ということ。リスクを覚悟して攻めていく。たとえ、その一手で負けてしまっても、いずれ糧になる。失敗してもいいんだと思って指すことが多いです。

――羽生さんは20代と30代で将棋との向き合い方が変わったとおっしゃっていますね。
 すこし抽象的な話になりますが、20代のころは、とにかく明確でわかりやすい「答え」を求めていました。30代になると、いいかげんになったというか、「答えなんてなくてもいいんだ」と思えるようになったんですね。自分なりにできることをやればいい、わからないこと、未確定なことがあるからこそおもしろいんだ、と。それが変わった点ですね。


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