連載「フリースクールの30年史」
シンポジウム「フリースクールは子どものニーズにどう応えてきたのか」の講演抄録第3弾。今号は90年代前半にフリースクール「札幌自由が丘学園」を設立した亀貝一義さんのお話。90年代前半、子どもたちはどんなニーズを持っていたのだろうか。
札幌自由が丘学園 亀貝一義さんの話
私は1960年から高校講師となり1990年に高校教師を退職しました。というのも1986年に札幌で「新しい教育・学校をめざす研究会」を立ち上げており、以前から教育や学校の仕組みを変える必要があると感じていたからです。当初の目的は点数や序列や競争によらない自由を標榜とする、自由をキーワードとする教育の仕組みを札幌の地につくることでした。つまり新しい学校づくりを求めて退職をしたということです。ただ、学校をつくるとなると当時は何億というお金が必要でしたし、あまりにも現実離れした構想でした。そこで数年間は塾を運営し、ほどなくして聞こえてきた「フリースクール」という学校外の居場所を立ち上げることにしました。それが1993年のことです。人から批判された言葉を借りれば「不登校の子を足がかりにして自分たちの目標を実現しようとしている」と。たしかに立ち上げたフリースクールに集まってきた子たちは不登校をしている中学生が主でした。最初は10人足らず、3~4年後には30人近い子どもたちが集まってきました。当時の子どもと親の希望、ニーズは「学校に行けないから代わりのものをつくってほしい」というものです。
変わらない不登校の理由
当時と現在を比べると不登校をする理由はほとんど変わらないように思います。人間関係、先生との関係、学校の仕組みとなじめない……、いまもほぼ変わりません。ただ、学校に対する気持ち、いわば「反発係数」のようなものが変わってきたように感じています。
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