学校を休んで図書館へいらっしゃい――。2015年8月26日、鎌倉市中央図書館が発した1件のツイートが大きく注目された。子どもの自殺が「9月1日」に突出して多いとの報道を受けてのことだが、賛否両論、さまざまな反響が相次いだ。あれから2年、「9月1日」は今年もやってくる。あのツイートにはどんな意味があったのか。「子どもの居場所」としての図書館の意義をどう考えているのか。館長の菊池隆さんにお話をうかがった。
――「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイートは大きな反響を呼びました。賛否両論あったと思いますが。
好意的なご意見もある一方で、「そういう子どもたちに図書館として何ができるのか」というお叱りの声もいただきました。
はっきり言って、図書館は「何もできない」んです。図書館の職員はみな、日本図書館協会が定めた『図書館の自由に関する宣言』を遵守しながら業務にあたっています。ですから、来館者のプライバシーを探るようなことはできませんし、ましてや図書館に来ている子どもたちに何か働きかけることは原則しません。
そういう権限がないにもかかわらず、あのような発言をするのは「無責任ではないか」というご指摘は多かったと思います。たしかに、図書館には心理カウンセラーなどの専門家がいるわけではありませんし、そもそも子どもを指導するという場所でもありません。「見守る」ことしかできないわけですから、その意味で言えば、まさにご指摘の通りだと思います。
(c)鎌倉市中央図書館
――そうしたさまざまな制約を重々承知したうえで、あの発信をしたということに大きな意味があったのではないかという見方もできると思いますが。
図書館とはどういう場所なのか。あの時点ではおそらく「本を貸し借りするだけの場所」という認識が一般的だったんじゃないかと思うんです。
もちろん、それも大事な役割ですが、「何もしなくても、そこにいるだけでいい」ということを発信したことは大きかったかもしれません。図書館が持つもう一つの役割を発信したことが反響の大きさにつながったんではないかと思います。
意識して「見守る」
――さまざまな反響を受け、鎌倉市中央図書館として変わったこと、新たに取り組み始めたことなどはあったのでしょうか?
「図書館というのは子どもの居場所になれるんだ」ということを職員があらためて感じられたことは大きかったです。結果として、図書館に来ている子どもたちを「見守る」という意識は以前よりも高まったように思います。たとえば、学校に行っている時間帯に何度か続けて来館している子どもがいたら、なんとなく気に掛けるようになりました。ただし、あくまでも「見守る」という姿勢は変えていません。
それ以外では、ほかの市町村同様、鎌倉市にも教育相談を担当している部署がありますので、そこのパンフレットやポスターなどを掲示するようにしました。それを見て実際に行くかどうかはわかりませんが、相談先につながる一つのきっかけになってくれれば、と考えています。
――「子どもの居場所」としての図書館には、どのような良さがあるとお考えですか?
美術館や博物館とはちがい、図書館は入場料がかかりません。「子どもの居場所」ということで言えば、これは非常に大切なことだと思います。
加えて、冷暖房完備で雨風からも自分の身を守れる。飲食が可能な場所でお弁当を食べることもできる。そうしたことも、「子どもの居場所」の要素として大事なことだと思います。
「子どもの居場所」というのは、学習塾やサッカークラブなど、家と学校のあいだにたくさんあると思います。そうした選択肢のなかのひとつに図書館もあるんだということを、頭の片隅に置いてもらえるとうれしいというのが率直な思いです。
ひとりだけど ひとりじゃない
というのも、最近の子どもたちは、ガチガチの枠にはめられているというか、多数派から飛び出ないように必死にがんばっているように見えることがあります。心の本音はちがうのに、自分だけ飛び出さないようにガマンを重ねてしまう。その積み重ねで苦しくなってしまうこともあるんじゃないかと。不登校でもそういうことがあるんでしょうか?
――不登校にかぎった話ではありませんが、子どもの息苦しさについては、「何かすること」をつねに求め、そして「何ができたのか」という結果を欲する世間のまなざしが強まっていることも関係しているように私は感じます。「すること」を叶えてくれる場所が選択肢として増えるのも大事ですが、図書館のように「いるだけでいい」という居場所も同時に大切ではないかと。
そうですか。図書館というのは本来、ひとりで静かに本を読むところですが、本当の意味で「ひとり」ではないと思っているんです。子どもから年配の方までが大きな机の四隅に座って本を読んだり、調べものをしたりと、ひとりの時間をそれぞれすごします。
とはいえ、そこでの関係性が完全に切り離されているわけではありません。「ひとりだけど、ひとりじゃない空間」にいることで、自分が社会とつながっている実感を得られる。これも図書館のひとつの特徴ではないかと思います。
ひとりで一日、ボーっとすごしていてもいいんだけど、何かしらのかたちで社会とつながっている。それが図書館という居場所なのだと思います。
――今後、図書館は子どもにとってどのような居場所であってほしいとお考えですか?
私がいつも考えているのは「構えてほしくない」ということです。「静かに本を読まなければいけない」「勉強しなければいけない」など、かしこまった場所という先入観を持たずに、「ふらっと立ち寄っていい」ということが子どもたちに伝わればと思います。最近ではマンガやライトノベルを置いてある図書館も増えていますので、気軽に足を運んでほしいと思っています。
命はけっして当り前じゃない
――最後に、今年も「9月1日」が来ます。あらためて、今つらい状況にいる子どもに伝えたいことはありますか?
緊急の避難場所として図書館もある。そのことを頭の片隅に置いてほしいという思いは2年前も今も変わりません。
図書館にある本の多くは過去のものですが、本を読んで何か感じることで、子どもたちの未来の可能性というのは無限に広がっていくはずです。言い古された表現かもしれませんが、道って一つじゃないと思うんです。いろんな道があるということに気づく、自分自身のいろんな可能性を見つける。そのきっかけの一つとして、図書館を活用してもらえればと思います。
個人的な思いを言えば、人は生まれてきたこと自体、奇跡だと考えています。けっして当たり前のことじゃありません。奇跡として生まれてきた命をぜひ大切にしてほしいと思います。
――ありがとうございました。(聞き手・小熊広宣)
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