不登校新聞

465号 2017/9/1

文芸評論家・加藤典洋の仮説「自分の『壊れ』への感受性をとぎすますこと」説

2017年08月30日 14:32 by kito-shin



連載「仮説なんですが…」vol.6

 かつて哲学は、いわゆるまともな人間をモデルに社会哲学を構築してきました。しかしこれからは、ビョーキであることが普遍的であるような、そういう社会哲学、人文知が求められるのではないでしょうか。

 これは、別に私の創見というわけではありません。いま第一線の哲学思想の担い手と見られている東浩紀さん、國分功一郎さんの新著から共通して受けとられるのが、こういうメッセージだというのが、私の仮説的な見解なのです。

東浩紀らの共通指摘 新しい人間の像

 たとえば、東さんの新著『観光客の哲学』は、「人づきあいの苦手な」「成熟したくない」人間がいま、どう現代世界を生きていけるか、を最初の問いにしています。その理由として彼は、こう言います。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

「不登校」ではなく「不来校」を問題にすべき説

546号 2021/1/15

「葛藤が生まれたとき、その答えも生まれている」説

545号 2021/1/1

教育学者・内田良が「校則はもっとゆるくていい」と考える理由

544号 2020/12/15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

546号 2021/1/15

田舎で不登校になるのは本当にめんどくさい。もちろんは都会だろうと田舎だろう...

545号 2021/1/1

2020年は不登校やひきこもりをめぐってどんなが起きていたのか。新型コロナ...

544号 2020/12/15

いまの子どもの自信を奪っているものはなにか。これが私のライフテーマでした。...