不登校新聞

465号 2017/9/1

文芸評論家・加藤典洋の仮説「自分の『壊れ』への感受性をとぎすますこと」説

2017年08月30日 14:32 by kito-shin



連載「仮説なんですが…」vol.6

 かつて哲学は、いわゆるまともな人間をモデルに社会哲学を構築してきました。しかしこれからは、ビョーキであることが普遍的であるような、そういう社会哲学、人文知が求められるのではないでしょうか。

 これは、別に私の創見というわけではありません。いま第一線の哲学思想の担い手と見られている東浩紀さん、國分功一郎さんの新著から共通して受けとられるのが、こういうメッセージだというのが、私の仮説的な見解なのです。

東浩紀らの共通指摘 新しい人間の像

 たとえば、東さんの新著『観光客の哲学』は、「人づきあいの苦手な」「成熟したくない」人間がいま、どう現代世界を生きていけるか、を最初の問いにしています。その理由として彼は、こう言います。

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