不登校新聞

465号 2017/9/1

文芸評論家・加藤典洋の仮説「自分の『壊れ』への感受性をとぎすますこと」説

2017年08月30日 14:32 by kito-shin



連載「仮説なんですが…」vol.6

 かつて哲学は、いわゆるまともな人間をモデルに社会哲学を構築してきました。しかしこれからは、ビョーキであることが普遍的であるような、そういう社会哲学、人文知が求められるのではないでしょうか。

 これは、別に私の創見というわけではありません。いま第一線の哲学思想の担い手と見られている東浩紀さん、國分功一郎さんの新著から共通して受けとられるのが、こういうメッセージだというのが、私の仮説的な見解なのです。

東浩紀らの共通指摘 新しい人間の像

 たとえば、東さんの新著『観光客の哲学』は、「人づきあいの苦手な」「成熟したくない」人間がいま、どう現代世界を生きていけるか、を最初の問いにしています。その理由として彼は、こう言います。

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

「学校は無理に行くところじゃない」と現役教員が思う理由

552号 2021/4/15

フリースクール代表が仮説を提言「実は不登校は増えていない」説

551号 2021/4/1

なぜ現在の支援は不十分なのか、ひきこもり経験者が考えてみた

550号 2021/3/15

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

552号 2021/4/15

学年別でみるといじめのピークは小学校2年生。低学年のいじめとはどんなものな...

551号 2021/4/1

みんながあたりまえにできることが、自分だけできない。そんな生きづらさは「発...

550号 2021/3/15

岩手県で不登校や引きこもりに関する居場所や相談などの活動をされている後藤誠...