不登校新聞

474号 2018/1/15

スクールソーシャルワーカーの先駆け・山下英三郎さんに聞く【不登校50年/公開】

2018年01月12日 12:48 by kito-shin



連載「不登校50年証言プロジェクト」


「スクールソーシャルワーカー」と聞いて、いま、どのくらいの人が具体的な想像ができているだろう。1990年代後半から学校に導入されたスクールカウンセラーは認知されつつあるが、スクールソーシャルワーカー(以下、SSW)の存在は、実際にはまだ、あまり認知されていないようにも思える。

 文部科学省は、08年からSSW活用事業を始めている。18年度の計画ではSSWの配置を3000人から5000人へと拡充させるとし、来年度以降も配置拡大を目指している。SSWに触れる機会は、今後増えてくることが予想される。

日本のSSW その先駆けに

 しかし、文科省の方針は、かならずしも喜ばしい流れとは言えないと指摘するのが、今回のインタビューに登場する山下英三郎さんだ。山下さんは、文科省の事業よりも20年以上前の80年代から、スクールソーシャルワークを日本で実践してきた。つねに子どもたちに寄り添い「子どもの最善の利益」を第一に考え続けてこられた方である。

 山下さんは、若いころから子どもたちの問題に取り組まれてきたかというと、そうではない。インタビューで経歴をお聞きすると、仕事を転々としていた。大学卒業後に鉄鋼関係の会社に就職したものの、合わずにフリーカメラマンへ転身。その後、子育てに良い環境を求め三重県に移住し植木屋に。そのうち仕事先の縁で病院事務職員に。さらに別の縁をきっかけにソーシャルワークを学びにアメリカの大学に留学。帰国後、予備校講師を務めたのち所沢市の「訪問相談員」になった。そこからスクールソーシャルワーカーとしての実践が始まり、大学教員を経て現在に至る。

 職や住居を転々とされることに、ご自身も「(フットワークが)軽いね」とおっしゃっている。一見、場当たり的な印象だが、何も考えがなかったのではなく、ご自身の根底に何かを探し求めようとする力があったからこそ、行動に移すことに積極的だったように感じられた。その結果「ソーシャルワーク」に出会うことになった。アメリカ留学では「自分はこれを勉強したかったんだと感じた」「目をキラキラさせて話を聞いていた」と、ご自身のことをふり返っておられる。不登校の子どもたちに直接触れるのは、そのソーシャルワークの実践が始まってからになる。実際にソーシャルワークを学ぶことに加え、家庭訪問で、子どもや親御さん自身から学んだ部分は大きかったのだろうと思う。けれども、初めから子どもに寄り添う姿勢を持っていたのは、ご自身が中学生時代に「年上の人で相談に乗ってくれる人がほしいな」と思っていたことも原点にあったからではないかと思った。

子どもの最善の利益を

 活動のなかで気づいたことのひとつに「『専門家』に傷つけられた人がすごく多かった」と語っておられたのは印象的だ。そして「それではまずいと思った」という指摘は、冒頭に挙げた文科省のSSW政策への懸念につながる。安易な事業拡大で活動の質の担保ができないとなると、結果的に専門家が当事者を傷つけるリスクをはらむ。「子どもに寄り添える専門家」であるはずの根底が崩れれば、SSWの役割自体が問われることにもなる。

 「子どもの最善の利益」とは何か。そのことを、山下さん自身は問い続けておられた。それは、子どもに関わるすべての大人への問いであることを、私たちは忘れてはいけないのだと思った。(同プロジェクト関東チーム委員/ストップいじめ!ナビ副代表)

●山下英三郎さんへのインタビューはこちらから
http://futoko50.sblo.jp/article/181969996.html

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