わが子が不登校になったとき、その原因を知りたいと思うのは、親であれば当然です。原因さえわかれば対処方法もわかるし、それを取りのぞけば学校にすぐに戻れるかもしれないと考えるからです。
しかし、子どもの気持ちから考えた場合、そう単純ではありません。むしろ、なぜ行きたくないのか、何がイヤなのかというように、「なぜ(why)」や「何が(what)」の2つをあれこれ聞き出そうとすると、かえって子どもを追い詰めてしまうことがあります。不登校の理由を「これだ」と断言できるとは限らないからです。また、不登校直後は、子どもの気持ちも落ち着いていないため、言葉で伝えるのが難しい場合があります。さらに、言葉にできるとしても、子どもが今それを話したいと思っているかどうかは別問題ですし、親を納得させようとして、「とりあえず」の理由を紡ぎ出す場合もあります。
原因探しがプレッシャーに
そもそも、原因探しというのは良くない結果や状況にあるときにすることが多いものです。
習字や絵画で表彰状を持って帰ってきた子どもに対し、「なぜ? 何が?」と原因を分析するなんてことは、あまりしないのではないでしょうか。ほめる、これが先にくるはずです。
言い換えれば、原因を探して解決策を模索するという行為自体、「今のままではダメなんだ」というメッセージを暗に子どもに送ることになってしまう場合があり、さらなる不安やプレッシャーを子どもに与えてしまいかねないのです。
原因探しはすべて悪、と言いたいわけではありません。私が伝えたいのは、親には親のタイミングがあるように、子どもにも子どものタイミングがある、ということ。ですから、親の良かれであれこれ詮索することは避けたほうが無難です。
まず大事なことは、学校で疲れた心と身体をゆっくり休めることです。落ち着いてくれば、子ども自ら話してくれることもあります。
子どもが再び動き出すために必要なのは、むやみやたらに原因探しすることではなく、疲れ切った心身を休める場を家のなかにつくることだと、私は思います。(『不登校新聞』東京編集局・小熊広宣)
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