今号から不登校経験者の親・沢潟裕子さんの連載を開始する。親として何に迷い、何を得てきたのだろうか。
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わからないことは、ネットで調べれば回答が得られる今日。「不登校」「学校へ行きたがらない」など、時間があれば検索していたころがあった。
とくに知りたかったのは、不登校の原因。誰が悪いのか、何が悪いのか、どうしたら解決できるのか。そういうことが知りたくてならなかった。
ネットのなかでは「家庭環境がよくない説」「育て方をまちがえた説」「学校での友だち関係がうまくいっていない説」……、さまざまな情報があったけれど、納得できる答えをネットで見つけることはできなかった。
原因を知りたいなら娘に聞くのが早道だとは思ったものの、学校に行けない原因を本人にストレートに聞いてはいけないような気がして、不登校の原因について話し合うことはできなかった。
それでも行けない理由を突きとめたい思いは消せず、次の日も気づくと検索している自分がいた。
小学生の列に
わが家のリビングからは、集団登校で歩いて行く小学生の列が見える。ランドセルを背負って一列になって歩いて行く姿。
そこに娘がいないことはとても悲しかった。もちろん、それはよそのお子さんの姿であって、よそのお子さんと娘を比べても仕方がないと思っていたが……。
娘は小学校低学年のころ、元気いっぱいに登校し、参観日には、先生の話を身を乗り出すようにして聞いていた。
しかし学年が上がって、毎朝、布団のなかで胎児のように丸まっているのには何か大きな理由があるにちがいなく、とてつもない困難と向き合って耐えているように見えた。
怒りがあふれて
その日も「おはよう! 朝だよ」と部屋をのぞくとやはり丸まっていた。「いいかげん、学校へ行ったらどう!」と大きな声を出した。でも娘は絶対に布団から出てこない。
大声で脅しても仕方がないのだが、学校へ行こうとしない姿が親への反抗のようにも思え、無性に腹が立った朝だった。
よそのお子さんと比べる必要はないと頭ではわかってるのに「なぜうちの娘が不登校になっているのか!」という怒りの感情があふれたのかもしれない。
小学校入学に合わせて引っ越したので、学校で会う母親たちとは参観日にあいさつする程度。どんな子育てをしているのかわからないし、何より私の世間体が邪魔をしておしゃべりをする気持ちにはなれなかった。
救われたのは、乳幼児期に同じような子育て観を持っていた友人と話したとき。子どもをよく見ていれば、親の不安や疑問は「子どもが教えてくれている」という考え方を私たちは持っていた。
その友人のお嬢さんも不登校をしていると聞き、「いっしょだね」と思うと、不登校で悩んでいるのは自分ひとりじゃないとホッとし、初めて不登校について本心を話せた。
「不登校が母親の育て方のせいなんてことはないよね!」とたがいに確認し合い笑い合えたが「それじゃあ原因はなんなのだ!」とまた苦しくなってくる。
私にも不安はあるけれど、学校に行かないと決めた娘こそ不安でいっぱいなんだろう。その不安を娘はひとりで抱え、胎児のように丸まっているのだろう。
言葉で思いを話さなくても態度で気持ちを一生懸命に表している気がした。そんな娘が愛おしく、娘を信じ守っていけるのは母親である私だと思うと、朝はゆっくり寝かせてあげようと決めた。
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著者/(おもだか・ゆうこ)2人の子どもの母。第2子が不登校。子どもたちの成長や母親へのニーズに応じて勤務時間や勤務先を調整する。現在、2人は社会人で第1子は独立準備中。第2子は一人暮らし中。
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