不登校新聞

495号 2018/12/1

“不登校による喪失体験は自立のきっかけにもなる”説【仮説なんですが】

2018年11月28日 13:31 by kito-shin



連載「仮説なんですが…」vol.27

 不登校になると、「ふつうである自分を喪失した」と考える当事者が多い。

 たとえば、学校へ行かなくなること、外出しないこと、友人や家族のような人と関係が希薄になることなど、数えたらキリがない。

 ふつうであった自分ならあたりまえにできたことが恐ろしく緊張する。「なぜふつうに、学校へ行けなくなったのか?」と問い続け、以前の自分に戻ろうとする。

 ただ、それはかなり難しい。そのため、つらい思いをし続け、悩む時間が多くなる。

 しかし、この悩みの根本にある「ふつう」はそもそも、誰を基準に考えられたのだろうか。また「ふつう」を具体的に説明すると、どうなるのだろうか。

 私自身の不登校時代をふり返ると「先生や親のような他者の期待から外れないようにすることと同時に、同年代の他者と同じようにすごすこと」と考えていた気がする。

 では、ふつうである自分以外に不登校経験で何を喪失していたのだろう。

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