不登校新聞

498号 2019/1/15

「居場所に意味なんて必要ない」居場所スタッフが考える居場所論

2019年01月15日 17:11 by kito-shin




 最近、子どもたちには「居場所が必要だ」と盛んに言われるようになっています。

 学校でも、家庭でもない、第三の居場所。サードプレイス。安心してすごせる居場所。フリースクールもそのひとつですが、そういうものが、子どもにとって大事なのだと。

 手づくりのあったかい料理をみんなといっしょに食べる子ども食堂や、学習支援もしている居場所、みんな仲よく楽しく遊んですごす居場所。

 それらが、子どものたちの未来のためになると、居場所にはさまざまなポジティブな効果を期待されています。

 しかし居場所というものは、読んで字のごとく、「居ていい場所」なのだと僕は言いたいです。それ以上の意味は必要ないです。

 食べ物に好き嫌いが多い子、他人のなかで食事をすることに、とても緊張する子、勉強が苦手な子、勉強をするなかで自尊心が傷ついてきた子、とにかく勉強がいやな子、人間関係で傷ついてきた子、ひとりが好きな子、黙ってようすをうかがっている子。コミュニケーションが苦手な子、さまざまな子がいます。

 みんなと食事をすることがよいこと、勉強をすることがよいこと、みんなと仲よくすごすのがよいこと、と居場所にポジティブな意味を与えることで、知らないうちに誰かの居場所を奪う可能性もあるかと思います。

 食事があることはありがたい、勉強を教えてくれることはありがたい、みんなと楽しく遊べることはありがたい。

 しかしそれをしなければならない、したほうがいい、なるべくさせるようにしよう、となったとき、ただ居ていい場所ではなくなっていくのだろうと思います。それぞれに適応できる子の場所になるということです。

 食事があるのに食べないし、勉強もしないし、みんなと遊ばないで、部屋の隅でひとり、ゲームをしている子がいたとします。

 まわりから見たらかわいそうで、どうにかしてやりたいと思うかもしれませんが、それがその子のできる「今」のすごし方であったりします。

 それでも「居ていい」のです。どうにかされる場所ではないはずです。貧しくても、みっともなくても、勉強ができなくても、人とうまく付き合えなくても、居ていい、生きていていい。

 ただ、居ていいとなったとき、そのすごし方を大事にされたときに、人は変わると言いたいところですが、それだと人を変えるために「居させる」人が出てくるので、やっぱり居場所には居る以外の意味はないと言っておきます。(森田義也)

■筆者略歴/(もりた・よしや)。佐賀県佐賀市の不登校の子どもの居場所「フリースペース ハッピービバーク」スタッフ。 不登校経験者。

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