不登校新聞

191号(2006.4.1)

答申への疑問や批判 不登校の歴史vol.191

2019年02月14日 16:03 by shiko



 1992年3月14日に開催した、文部省の学校不適応対策調査研究協力者会議最終報告に対する市民集会のことでは、今も苦渋の思いで、思い返すことがある。

 先述したように、この答申は、「子どもの性格や親の育て方で起こるもの」という登校拒否へのそれまでの認識を「誰にでも起こり得るもの」と転換し、学校の問題も指摘、民間施設活用も認めるなど一歩前進したが、学校復帰が前提であり、より細かく、専門機関とも連携しながら登校拒否の予防と学校復帰を進める政策を国として取ろうとするものでもあった。

 

この続きは1ヶ月無料のお試し購読すると
読むことができます。

関連記事

理事退任のご挨拶と役員人事変更のお知らせ

535号 2020/8/1

やっとでた10月25日通知 不登校の歴史vol.535

535号 2020/8/1

かがり火

535号 2020/8/1

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

535号 2020/8/1

「不登校」とひとくちに言っても、その理由や負った傷のかたちは人それぞれ。ど...

534号 2020/7/15

「子どもがゲームばかりで困る」という相談は多いです。児童精神科医の関先生に...

533号 2020/7/1

新型コロナウイルスの影響により休校していた学校も再開されつつある。今後、ど...