不登校新聞

191号(2006.4.1)

中学を脱走しライターへ「生きづらさから何かが生まれる」

2019年02月14日 16:06 by shiko
2019年02月14日 16:06 by shiko



 今回、『ヒト』の欄で書いてもらったのは、フリーライターの土田朋水さん(20歳)。なぜ、フリーライターを志望されたのか、実際に働いてみて感じられたことなどを書いてもらった。

 * * *

 「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

 たしかにそうだ。ホントにそうだよな、と思う。夏目漱石が『草枕』で書いたこの言葉にはなんとも深い共感をおぼえるし、誰にも思い当たるふしがあるからこそ、これは多くの人によって引用される言葉となったのだろう。

 しかし、そこは夏目漱石である。彼は「この世は生きにくい」とただボヤくだけで終わらなかった。この言葉には続きがあるということを、一体どれぐらいの人が知っているだろう?

 フリーライターを名乗り、初めて記事を書いたのは18歳のときだった。

 きっかけは新聞に掲載されていた求人広告。「ライター募集」の文字に飛びついて雑誌社に履歴書を送ったのが始まりだ。

 今思えば、それもかなり変わった応募書類だったように思う。中学を途中で脱走して、子どもが新聞記事をつくる市民活動に参加し、取材でアメリカに行ったり、カンボジアへ行ったり。

 さらには独学でいろんなことを勉強してきたので、記事を書くなら任せてくださいと綴られた文書。われながらよくわからない不思議な履歴書である。

 けれど驚いてしまうのは、そんな人物をひとりのライターとして認め、きちんと採用してくれる雑誌社があったことだ。

 「君の経歴はなかなかおもしろい。学校に行かず18歳でフリーライターをやってるなんてね。それがいいと思ったんだよ」

 そういって「ワハハ!」と肩を叩いたのは、面接に現れた『ビッグイシュー』誌の代表だった。隣に座る編集長からは「どうぞよろしくお願いしますね」とお辞儀を受けたので、自分もあわてて「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 18のこんな駆け出しライターにもチャンスを与えてくれ、見下したりなどせず、対等なパートナーとして接してくれる。そんなおとなたちに心の底から頭が下がる思いだった。

 

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