学校法人 東京シューレ学園「東京シューレ葛飾中学校」
今号は「東京シューレ葛飾中学校」に通う能島諒くん(14歳)のインタビューを掲載する。インタビューしたのは、本紙「子ども若者編集部」の田子つぐみさん。不登校経験者による当事者へのインタビュー。不登校のいきさつや、当時の気持ちなどうかがった。
――クラスに暴力的な男子がいたことがきっかけで、私は小学1年生から不登校しました。能島くんの不登校のきっかけは何だったのでしょうか?
じつは、「これだ」という理由がないんです。当時の記憶はあいまいな部分も多いんですが、小学3年生の後半からは、ほぼ学校に行ってないと思います。
――いじめや体罰など、不登校の直接の引き金になるようなきっかけはなかったということでしょうか?
そうですね、なかったです。ただ、3歳上の姉が不登校になって、その影響は少なからずあったかなって思います。最初は「何でお姉ちゃんだけサボっているんだ」って思っていましたが、あれよあれよという間に、僕も学校を休むようになってしまって。
学校に戻らなきゃと思ったこともありました。でも、ちょっと無理だなって。というのも、家ですごしながら、学校を外側から眺めるわけじゃないですか。そうすると、たくさんの子どもが集まって先生の話を一方的に聞いていることとか、学校独特の雰囲気とかに違和感をおぼえるようになったんです。でも、これって、今だから言葉にできることかなって思います。当時はただ漠然と学校に行けなくなってしまった、そんな感じでした。
――私の場合、先生や同級生が学校に来ない自分を特別扱いする雰囲気にどうしてもなじめませんでした。能島くんの場合は?
最初のころは姉と二人で保健室登校をしていたんです。姉は友だちといっしょに給食を食べたり、おしゃべりしたり、楽しそうにすごしているんです。かたや僕は学校でも姉と同じ場所にいるということが、どこか気恥ずかしいというか居心地が悪くて。それに自分から積極的に友だちをつくろうというタイプでもなかったので、すぐに保健室登校もやめてしまい、それから1年くらい、家ですごしていました。
当時、僕が通っていたのは、茨城県にある小学校で、児童数が1000人を超えるようなマンモス校でした。だから、僕ら以外にも不登校の子がちらほらいたんです。先生も不登校慣れしていた感じもあって、その意味では気楽でした。
――家にいるとき、学校に行けない自分を責めることはなかったですか?
ん~、ないですね。性格かもしれないですけど、開き直りが早いので(笑)。これも今思えばという話ですけど、僕なりの自己防衛でもあったのかなって思います。「僕が悪いわけではなくて、学校に問題があるんだ」って、意地になっていたから。
イヤで保健室を脱走したことも
――両親の対応はどうだったのでしょうか?
姉が先に不登校をしていたからか、両親は僕に対して柔軟に対応してくれたように思います。無理に学校に行くよう急き立てられることもありませんでした。
あ、でも、祖父母が急に家に来るということがありまして。僕が不登校していることを伝えてなかったらしく、「今日だけ保健室登校してくれ」という親の頼みに渋々応じたことがあります。本当はすごくイヤだったんですが、親の事情もわからなくもないという思いもあって。
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