林試の森クリニック院長・精神科医 石川憲彦さん
連載「子ども若者に関する精神医学の基礎」
いま、不登校やひきこもりをめぐって、医療に対する関心が高まっている。医療にかかることは大切だが、各地の不登校の親の会などでは、安易な専門家依存によるトラブルなどが問題になっている。そこで、「林試の森クリニック」院長の石川憲彦さんのお話を今号から掲載する。内容は10年10月~11年11月にかけて、行なわれた連続講座「子ども・青年にかかわる人に必要な精神医学の基礎」(主催・NPO法人たまりば)を再編したもの。
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近年、精神医学をめぐって起きているのは「精神科バブル」、とくに「児童精神科バブル」とも言うべき事態です。私のクリニックでも現在、診察まで4年以 上お待ちいただいている状況です。特別な診察をしているわけでもありませんし、人間には相性もあるので、人気のクリニックに来ればすべて解決するなんてこ とはありえません。
もともと、児童精神医学というのは、特定の者にしかできない特別な医学だというふうに、私は考えていません。極端に言えば、新人の精神科医が医療の原則を踏まえつつ、1カ月ほどトレーニングを積めばできるようなことなのです。
では、医療の原則とは何かというと、1つ目に、なるべくくわしく話を聞くということ。2つ目に、直面する事柄の解決に最適な方法を誠意を持って提案できる ということ。最後に、できるかぎり、よけいなことはしないということ。よけいなことの代表は、薬づけです。薬が不必要だとまでは言いませんが、「いま使用 されている薬の9割は必要ないか、むしろ有害」というのが私の考えです。
今日のテーマ「精神現象の理解と今日の診断の限界」についてまずはじめに、いまの日本でなぜこれほどまでに精神医学がブームになっているのかをお話したいと思います。
医学の基本は、人間の命を守ることです。しかし、精神医学では、この命を守るということはあまり強調しません。たぶんその理由は、精神障害そのもので命を落とすというケースは滅多にないからでしょう。もちろん、例外はあります。たとえば、うつ病。
日本では現在、うつ病対策が自殺対策の目玉であると声高に叫ばれ、精神医療に多額のお金が投入されるというので、関係者は張り切っています。たしかに、自殺の要因に、うつ病などの精神障害によるものもないわけではありませんが、近年病気による自殺で増えているのは、人工透析や頭頸部癌、HIVなどの身体疾患によるものが主体です。あくまで私見ですが、自殺にいたる動機にもっとも影響するのは、どれだけ痛いかということではなく、どれだけ希望を持てるかということだと思います。
児童生徒の自殺について、74年から96年までを追ったデータを見ると、子どもたちの自殺がもっとも多かったのは1980年です。もし自殺の最大原因がうつ病なら、このデータは、みなさんの生活実感とどれほど合致するでしょうか。あまり実感がわかないのではないかと思います。とすると、何かがおかしい。それは、「精神障害が問題になってきている」「精神科医に早く見せたほうがいい」という風潮に煽られ、事実と異なることが報じられているからなのです。
薬剤での安易な解決が生む問題
精神障害による自殺を防止することは、重要なことです。とりわけうつ病において、もっとも気をつけなければならないのが自殺であることも事実です。しかし、28歳以下のうつ病では、うつ病の治療薬を飲んでいる人のほうが、飲んでいない人より自殺の危険率が高いと言われています。社会全体で焦りをあおる状況が強まり、問題の本質を見誤ると、こんな危険も起こってくるのです。医療に安易な解決を求めるだけでは、うつ病対策だけでなく、ありとあらゆる取り組みが、確実にまちがった方向に進んでいくでしょう。薬の問題で、もう一つ注目しておきたいのは、薬剤依存です。薬剤依存と聞くと、麻薬や覚せい剤などを思い浮かべる方も多いと思いますが、いまの日本における薬剤依存でもっとも多いのは、医師が処方する精神薬によるものです。
1999年ごろから精神科医療費は増加傾向にありますが、内訳をみると、じっくり患者さんの話を聞くための医療費の増加は微々たるもの。何が増えているかと言えば、薬剤費です。とりわけ増えているのが、向精神薬と呼ばれるもののうち、うつ病の薬と統合失調症の薬です。その背景にはSSRIなどの新薬の開発と普及が関係しています。
私が精神科医になった40年前に使われていた薬のなかで、現在も使用されているものはごくわずかです。新薬がつぎつぎと生まれているということは、いま使われている新薬もすぐに置き換えられていくということです。なぜなら、製薬会社にとって儲けがあるのは最初の10年です。それ以降は薬価が下がるため儲からなくなるからです。私は、40年使われている薬こそ安心で大事にしなければいけないと思うのですが、精神科医は新薬を処方し、患者も古い薬を嫌う傾向が強いのが日本です。
一方で、1999年から2005年までに、薬剤費の上昇と比例してうつ病患者は倍増し、また、病院数も同様に増加しています。これが「精神科バブル」の正体だと思います。めまぐるしく社会状況が変化するなか、「日本人の心が変わってきて大変だ」という状況はたしかに一つの側面としてありますが、では具体的に何がどう変わったのかを冷静に見つめることを忘れ、すぐに薬で何とかしようと考えるのは大問題です。
そうしたなか、現在の精神医学は最も大切なことを見失いかけていると思います。それは、「個人の現状がどうであれ、そこから希望を見出していこう、いっしょに共有しよう」という姿勢です。「ただしい知識はこうである」とか「こういう人間にはこうするといい」とか、型にはまった考えにばかり目が行きがちで、周囲の人間を含め、その人に何ができるのかをいっしょに考えていくことが下手になっているように感じます。(つづく)
(いしかわ・のりひこ)
46年生まれ。精神科医。 87年まで東大病院を中心に障害児医療に携わる。94年からマルタ大学にて社会病理・教育臨床の研究と社会医学的調査を行なう。04年東京都目黒区に林試の森クリニックを開業。
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