今回の親インタビューは、村上たか子さん(仮名)。お子さんが不登校になったのは、高校入学直後のこと。「時間ばかり気になっていた」という当時の率直な思いなど、お話をうかがった。
――お子さんが不登校した経緯からお聞かせください。
息子が不登校になったのは高校に入ってすぐのことでした。サッカーが好きで、友だちづくりも得意な子どもだったので、私にとってはまさかの出来事でした。高校でもサッカーを続けるとばかり思っていたら、学校に行きしぶるようになったんです。
――そのときの村上さんの気持ちは?
とにかく学校に行ってほしい、という一心でした。息子と言い合いになることも多くて、「ウソをついて休もうとしているんでしょ、ズルいよ」と言う私に、「苦しいんだよ」と息子が怒鳴ったことがありました。そのとき「これは無理に行かせてはダメだ」と直感しました。いろんな本を読み、親の会を探し、カウンセリングにも通いました。
とはいえ、親だってそうかんたんに変われるわけがありません。頭では理解していても、心のなかにある「行ってくれたらいいな」という気持ちはなかなか消えないんです。とくに私は「時間」ばかりが気になっていました。「1分1秒でも早く学校に戻ってほしい」とか「いつになったら元気になるんだろう」とか。
自分が楽になりたかった
――なぜ「時間」が気になったのでしょうか?
自分が楽になりたかったからだと思います。息子のため、息子主体で、とは言いつつも、結局のところ私が自分の苦しみから早く抜け出したかったんです。当時、私にとってもっともつらかったのは「息子はみんなと同じことができていない」ということ。だからこそ、早く学校に戻れば、みんなと同じレールに戻りやすいだろうって考えていたんです。
――息子さんの家でのようすは?
昼夜逆転が始まり、私との会話はいっさいなし。食事だっていっしょに取りません。中学時代の友人と出かけることもたまにありましたが、大半は自室にこもってばかりでした。
しばらくすると、息子が私の携帯にメールしてくるようになりました。「何で産んだんだ」「生きている意味がない」「死にたい」という内容が、夜中の12時すぎに送られてくるわけです。その返信には本当に気をつかいました。「いつかきっと元気になるよ」と返そうものなら「いつかって、いつだよ」と言われ、「生きていくのも死んでいくのもいっしょだから」と言えば「やっぱり俺が死ねばいいと思っているんだな」と。そんなやりとりが朝方の5時ぐらいまで続き、そのうち息子からの返信がなくなると、「あ、眠れたんだな」ってわかる。少しだけ休んで私は仕事に出る。そんな毎日が半年以上続きました。
でも、たいへんだったなという感覚はないんです。むしろ、息子とコミュニケーションがまったく取れなかったときのほうが、よっぽどつらかったです。
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