不登校新聞

485号 2018/7/1

法律づくりの始まり 不登校の歴史vol.485

2018年06月27日 23:01 by kito-shin
2018年06月27日 23:01 by kito-shin



 先号まで、フリースクール等検討会議について述べてきた。2015年の4月開催以降、11月まで空白の7カ月間があった、空白といっても国のフリースクール実態調査がなされ、結果が8月に公表されたところまで記した。

 空白のわけは、教育機会確保法の審議が議員立法で進められていたからである。そして、不登校の歴史にとって、非常に大きい出来事であるこの法律の成立は、本欄でしっかり書く予定にしていたので、このへんで、法律づくりの話に移っていくことにしたい。

 2015年、「フリースクール等に関する検討会議」や「不登校に関する調査研究協力者会議」が開始した1月には、まだ法律づくりは何もはっきりしていなかった。「超党派フリースクール等議員連盟」は前年の2014年6月に、私たちの働きかけにより発足はしていたし、いい風が吹いているとは感じていた。
 議員連盟が実際に腰を上げて、不登校・フリースクールのための立法に取り組み始めてくださったのは、2015年2月の第2回議員連盟の総会からだった。このとき、市民側も多数参加していたのだが、意見交換の最後に馳浩幹事長から立法宣言があったのである。

 では、どのように立法の議論が進んだのかを述べていく前に、議員立法に持ちこむまでのプロセスを記しておきたい。先ほど「取り組み始めてくださったのは」と書いたが、それは私たち市民側が持ちこんだからである。

 これは市民発の法律なのだ。

 本欄で、以前書いたこととも重なるので、経緯についてはかんたんに紹介したい。

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