不登校新聞

490号 2018/9/15

ひたすらゲームばかり そんな子の心を覗いてみたら

2018年09月19日 10:53 by kito-shin

 富良野しおんさんは、不登校中、ゲームが希望になったと語る。どんな気持ちだったのだろうか、富良野さん自身に当時の気持ちを書いていただいた。


 私は、不登校になってからテレビゲームを始めたタイプの人間です。ゲームをやり始めたころ、私はゲームが好きなわけではありませんでした。それでも何日も、何時間もゲームと向き合っていました。それは、ゲームを通せば自分の心が少しだけ動いたからです。

 学校に行かなくなって2カ月ほど経ったころ、12歳の私は何かを感じることができなくなっていました。

 お腹が空いたと思うこともなければ、眠りたいと思うこともない。1日に何度か涙があふれるけど、つらいとか悲しいとかいう感情は心にありませんでした。何も思わないまま今日が終わって、そしてまた勝手に明日が始まる。本当に、ただそれがくり返されるだけでした。

 そんな日々のなかでも、学校に行っていないという現実はぐるぐると頭をまわり続けます。ある日「もう何も考えたくない」と、ふとリビングに置いてあったゲーム機に手を伸ばしました。

 期待せず始めたのに、気づけば私は何時間もゲームに集中していました。色あざやかできれいな映像に感動したり、なかなかステージが攻略できず悔しくて、頭を使ったりしました。疲れを感じて、だんだんお腹も空くようになりました。どんなふうに触れ合ったらいいのか分からなかった両親にも「今日はこんなゲームしたんだよ」と、話せるようになりました。

ゲームで感情が

 そして、いつのまにか私はゲームがある日常を「楽しいかも」と思うようになっていました。

 「私はもう、何も感じられなくなってしまったのかもしれない」と思っていたからこそ、「ゲームを通せば、私の心には何かしらの感情が浮かんでくる」という事実は、まだ私の心は大丈夫なのかもしれない、私の心はまだ感じることができるのだ、とかすかな希望にもなっていました。

 きっとゲームは私にとって、心のストレッチだったのです。「楽しい」という感情を心が思い出すための時間で、「好きだ」と思えることをやるための練習だったのです。

 『不登校新聞』を読んでいる親御さんのなかには、学校へ行かずお子さんがゲームで遊んでばかりいることに不安を覚えている方もいるかもしれません。

 たしかに、ゲームは遊びのひとつです。でも私の経験では、ゲームは遊びという枠を大きく超えた物でした。心が動く源になったり、誰かとつながれる道具になったり、ときには人生の支えにもなったりもしました。自分なりの、自分だけの居場所でした。

 だからどうか、お子さんの心がゲームで動くなら、楽しさを少しでも感じられるのなら、ゲームを「ただの遊び」という枠でくくらず、遠ざけず、そばに置いておいてあげてください。

 たとえそれが、読書でもスポーツでもゲームでも、心が動くものがある人生はどんどん化けていくと思います。それはすごく素敵で自由なことだし、何より学校に行っていなくても心が動くものがあるって、とても大事なことだと思います。(富良野しおん)

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