不登校新聞というそのままズバリのネーミングには思わず「す、すごい名前」と思ったのは全国的にも私だけではありますまい。

 情報交換の場がとにかく限られていて何かの会に所属しないと何もわからない。けれど入った会によっては、一方的な情報しか伝わらない。そこのメンバーと合わない、人間関係がうまくいかない。となると、さらに絶望的な気持ちになる。自分で考える余裕がなくなっていく。他人に振り回されて追いつめられてゆく。とても心配な事態です。

 自分で考えて自分で決めていくという当たり前のことに気がついたのは登校拒否と直面してからで、自分の依存心の強さに疲れたことを憶えています。

 マスメディアの情報にときに自信を無くし、迷いながらやってきましたが、不登校新聞が主旨をいかせたら、立場が変わり、考え方が変われば、同じ事件でも、ここまで違う見方ができるというおもしろさを伝える情報源になれるわけですね。

 ここ北海道では今、各地にたくさんの不登校がらみの会が誕生していて、なかには、はっきりと「学校に戻すことを前提にしている」と明言している会もあります。かなり考え方が違う会がある一方、その情報が流通することはなく、他に会があることを知り得ないまま、右往左往している方も、また、たくさんいらっしゃるのではないかと思います。

 私自身は江別というところで「もぐらの会」という考える会(親の会)の事務局をしていますが、基本姿勢はファジイ&アバウト。だらだら行こう。本人がそれでいいならなんでもありだよね。というような感じ。「そんなことでいいのか!」という方は当然ながらおやめになり、去る者は追わず、来る者は拒まず。だから、なかには、「学校に行ってほしいと思ってて、中学三年の一年だけ通って高校にはいれたの、うれしくって。でも途中でやめたら泣いちゃうかもしれない」と飽きず懲りずに言い続ける強者(?)もいたり、「一生家にいてもいい」とか「もう時々じゃまだから駆け落ちなんかしてくれたら金がかかんなくていいかなと思って」まで、意見交換をにぎやかにしています。

 ちなみに、我が家では長男が中学三年間不登校で今は通信制高校の四年生。長女は、ときどき中学に行きつつ「フリースクール札幌VO」というフリースクールに通い、次男は小学校の三年生から登校拒否を継続。とことん学校を拒否して十六歳の今はフリーターというところでしょうか。次女は今小学校四年生ですが一年生の途中から不登校。四者四様の生活をみてきて、やっぱりなんでもありだなあとしか言いようがありません。

 人生は運が八割(?)。たとえ子どもでも私の人生じゃないから関係ないしな、と感じていたりします。人生は出会いの運・不運で変わるのだ。それは誰にもわからない。

 けれど、今の学校の現状は運・不運ではなく必然的に招かれた事態と思える。自殺、殺人までが起きて、あまりの異常事態としか言いようがない。

 文部大臣は(北海道江別市出身・ウンザリ)子どもを主人公にしたシナリオが書けそうにない方で、コメントを聞くたびにぞーーっとする。官僚主義の弊害で実権のない飾りの大臣であるとを願いたいくらい教育行政のお寒い現状の中、不登校新聞を発行するというニュースにこれまた大胆なと驚き。驚きついでに通信局をこの地でやらせていただきます。よろしくお願いします。(北海道通信局/谷口由美子)