不登校新聞

225号 2007.9.1

第225回 アパラチヤ山脈のふもとまで

2015年02月10日 15:53 by 匿名
2015年02月10日 15:53 by 匿名

連載「不登校の歴史」


 1994年春、東京シューレの子どもたちが送った1通の手紙から始まり、ついに実現した「日米フリースクール交流」。

 前半は、クロンララスクールの子どもたちが10数名来日、1週間ホームステイしながらの交流の後、京都・広島に子どもたちは案内した。後半は、日本側が渡米した。東京シューレ15名の子どもたちのほとんどは、海外旅行は初体験、めずらしいこと、刺激のあることばかりなうえ、クロンララスクールを見せてもらい、ホームステイしつつ交流したのは、一挙に世界を拡げた。英語もさほどできるわけではなかったが、子どもたちはボディランゲージもふくめ、通じ合うのは早かった。

 クロンララスクールも、子どもたちでミーティングをひらき、固定したカリキュラムではなく、自由な学び合いのかたちで、いきいきと時間を使っていた。広い芝生や公園のなかに、木造二階建てのかわいい建物がいくつか立っていて、なかでは、学習教材など年齢に応じてさまざまに、すぐ活用できるようにおいてあり、施設的に充実している、と感じた。子どもたちはくったくがなく、フレンドリーでいっしょにいるのが楽しかった。
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