不登校新聞

378号 (2014.1.15)

第31回 統合失調症の歴史

2014年01月10日 12:38 by kito-shin
2014年01月10日 12:38 by kito-shin



連載「子ども若者に関わる精神医学の基礎」

 18世紀に突如出現し、19世紀に急増した病気、それが「統合失調症」です。他人の説の受け売りになりますが、今回はその歴史から学びましょう。
 
 17世紀、占星術者・ネピアは、2000人以上のようすを記録に残しました。その多くは、いまならば精神障害と診断される人たちです。しかし不思議なことに、そこには「統合失調症」を思わせる記述がいっさい見当たりません。
 
 さらに、それ以前のどんな文献にも、これを想起させるような記述を発見できません。このため、現在、最重要の精神病とされる「統合失調症」は、17世紀以前には存在しなかったか、特別な異常と認識されていなかったのだろうと考えられます。

統合失調症、初めての提起


 「統合失調症」と考えられる記載は、1809年、イギリスの精神科医・ハスラムによるものが最初であろうとされます。同年、フランスの内科医・ピネルも似た内容の記述を残しました。別々の場所でほぼ同時期に、同一の精神障害に関する概念が提唱される。これは、すでにご紹介した、第二次大戦中のカナーとアスペルガーによるほぼ同時期の「自閉症」の提唱と、じつによく似ています。
 
 その後、1852年にフランスの精神科医・モレルが「早発性痴呆」という概念を用いて「統合失調症」を理解しようと試みます。痴呆とは呼ぶものの、今日一般的に「ボケ」と言われるような老年期に見られる認知症の症状とは別物です。
 
 当時、産業革命と市民革命を通じて社会構造が劇的に変化したヨーロッパは、工業化による富国強兵を競い合う時代に突入しました。
 
 そのため、機械を動かすための合理的かつ理性的な知識を持つ人間を大量に育成することが国家課題でした。「どんくさいお百姓さん」を「工業的な人間」に変えて、自然的な価値を否定する必要があったのです。
 
 老人ではないにもかかわらず、そうした社会からの要請にうまく適応できない人、つまり自然への親和性の強すぎる人たちが「早発性痴呆」と診断されたのです。
 
 19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、「統合失調症」は「脳の病気」と考えられるようになっていきました。肝心の脳の異常は発見されないまま、いたずらに非理性的行動を抑制する薬剤の使用が試されるようになります。しかし、当時の鎮静剤は、まったく無効だったばかりでなく、副作用で無気力症状を悪化させるケースが少なくなかったようです。しかし、この薬剤による無気力を痴呆症状の進行とみなす傾向も出現し、いったい何が病気なのか、大きな混乱が起こります。
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