外側のかたいカラで体を支える構造を「外骨格」という。人は脊椎動物だが、心は外骨格でできている。昆虫や甲殻類はクチクラ、キチン質で体をおおう。人間は「イヤだ」という感覚で自己をおおう。
自己とは嫌いなものから成る。自分と周囲を分かつのがアイデンティティーなら、その境界線は「ここから先は侵入させない/させたくない」という意識だろう。嫌いなもの、受けいれがたいものが自分の輪郭をつくる。
人の心にあるのは芯ではなくカラ
人は好きなものを語っているようでじつは嫌いなものの話をしている。「ゲームが好き、でもRPGは苦手」「ポケモンが好き、でも最近のは見てない」。赤ん坊が最初に見せるしぐさが「いやいや」なのも、反抗期が何度も訪れるのも、拒否が自我の骨格だからだ。「芯がない」などと言うが、人にあるのは芯じゃない。カラだ。
いちいち「イヤだ」と伝えるのはめんどうだ。言われた側も厄介に思う。
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